樋口直
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樋口 直(ひぐち なおし、1924年(大正13年) - )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。神奈川県横浜市磯子区出身。
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[編集] 略歴
旧制神奈川県立横浜第1中学校より海軍兵学校第72期入校。卒業時の成績は625名中次席。
樋口が在籍した海軍兵学校第72期生は卒業と同時に前線勤務となり卒業者全625名中戦死者は336名にのぼる。
海軍兵学校卒業直前に於ける面談で担当中佐から「今戦争に於いて貴殿は将官は言うに及ばず中佐に進級する事も最早困難な情勢であるが、それでも国家の為に尽くしてもらえるか」との問いに改めて戦争の苛烈さに衝撃を受けたと言う。
終戦時、伊号第401潜水艦に乗艦しウルシー環礁攻撃途次終戦となり、有泉司令自殺と米駆逐艦への降伏に立会った乗組士官の数少ない現存者である。
[編集] 人物像
当時の海軍兵学校校長だった井上成美から受けた薫陶に対して現在でも敬愛の念を抱いていると言う。
[編集] 年譜
- 1924年(大正13年) 月 日- 神奈川県久良岐郡本牧村(現在の横浜市磯子区)生
- 1940年(昭和15年)12月1日- 海軍兵学校入校
- 1943年(昭和18年)9月15日- 海軍兵学校卒業 卒業成績順位625名中第2位・任 少尉候補生・戦艦「山城」乗組
- 1944年(昭和19年)3月15日- 任 海軍少尉
- 9月15日- 任 海軍中尉
- 1945年(昭和20年)6月1日- 任 海軍大尉
[編集] 参考文献
- 戦史叢書・第93巻 大本営海軍部聯合艦隊(7) (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
- 戦史叢書・第98巻 潜水艦史 (防衛庁防衛研修所戦史分編・朝雲新聞社)
- 続 海軍兵学校沿革(有終会編・原書房)
- 海軍兵学校出身者名簿(小野寺 誠編・海軍兵学校出身者名簿作成委員会)