樺太鉄道局
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樺太鉄道局(からふとてつどうきょく)は、1943年4月1日に樺太の内地編入に伴い、樺太庁から鉄道部門(樺太庁鉄道)が鉄道省(国鉄)に移管されて発足した組織である。豊原市に本部を置いていた。
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[編集] 沿革
- 1943年4月1日、 樺太庁鉄道が樺太庁から鉄道省に移管されて発足する。
- 1943年、樺太東線、上敷香駅~気屯駅間(51.7km)が開通。
- 1944年10月15日、気屯駅~古屯駅間(10.6km)が開通。
- 1945年7月15日、豊真線の豊原駅~奥鈴谷駅間を廃止し、小沼駅~奥鈴谷駅間開通。
- 1945年8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破棄して南樺太に侵攻し、内地への疎開輸送を開始する。
- 1945年8月23日、稚泊連絡船宗谷丸、大泊港から最後の出港をする。
- 1945年8月24日、豊原市がソ連軍に占領され、大泊港も封鎖され、疎開輸送は終了する・
- 1945年8月28日、樺太鉄道局長、札幌鉄道局長に連絡船の運航見合わせを要請。
- 1946年4月1日、ソ連国鉄に編入されて組織としては消滅する。
[編集] 終戦時の営業状況
- 鉄道線
- 自動車線