橋本昌二
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橋本昌二(はしもと しょうじ、昭和10年(1935年)4月18日 -)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型で、長考派としても有名。
1994年から1997年まで関西棋院理事長。
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[編集] 経歴
父国三郎に囲碁の手ほどきを受け、1947年に12歳で入段。1953年に18歳で六段に昇段し、第9期本因坊戦予選に参加、その際に日本棋院から関西棋院の新段位を認めないとしたが、鈴木為次郎八段が審査を行って認められた。この予選では元本因坊の岩本薫八段を破るなどの活躍をしたが、鈴木五良五段に敗れて挑戦者決定リーグ入りはならなかった。
その後、橋本宇太郎九段と並ぶ関西のトップ棋士として活躍し、闘将として日本棋院への対抗意識を掻き立て続けた。1958年九段。
1962年の第1期名人戦リーグでは、7勝5敗でリーグ4位の成績だったが、最終戦でそれまでトップを走っていた藤沢秀行八段を破り、最終戦に勝った呉清源が藤沢と同率になるが、呉の坂田栄男との最終局がジゴ勝ちだったために藤沢が第1期名人となるという劇的な結末の演出役となった。
門下に高原周二九段、森山直棋九段ら。
[編集] タイトル歴
- 王座 1959、1981年
- 関西棋院第一位決定戦 1965-67、1970-74、1978-79、1988、1990年
- NHK杯 1967、1980、1985年
- 十段 1974年
- 早碁選手権 1975年
- リコー杯プロペア碁選手権 1995年 (小西和子五段とペア)
[編集] その他の棋歴、受賞等
- 名人戦リーグ10期、本因坊戦リーグ6期、棋聖戦全段争覇戦優勝1回、など
- 関西棋院賞最優秀棋士5回、利仙賞1回
- 1960年、『囲碁クラブ』誌主催で、対林海峰六段との記念三番碁が打たれた。
- 同じ長考派で知られる梶原武雄七段(当時)と対戦した1960年の第8期王座戦では、二日制の対局の1日目に9手しか進まないという、長考合戦が繰り広げられた。この封じ手の時の梶原の「今日の蛤は重い」の一言は有名。