機関銃
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機関銃(きかんじゅう)とは、小銃弾またはそれ以上の威力の弾丸を連射することを目的とした銃で、マシンガン(Machine gun)とも呼ばれる。
[編集] 概要
基本的には口径20ミリ未満のものを機関銃と言い、20ミリ以上のものを機関砲と言う。 旧日本陸軍では12.7ミリ以上を砲、旧日本海軍では連射可能な全ての銃器を銃、ドイツ軍では30ミリ以上を砲と定義していた。
引き金を引くだけで、「発射→排莢→次弾装填」のサイクルが自動的に繰り返される。一発あたりの命中率は二脚を用いるものではその重量により小銃並であり、銃架を用いる重機関銃では狙撃銃にも匹敵する。一人の操作手が死体の山を築くことのできる火器であり、登場当初は悪魔の兵器として恐れられた。運用は基本的に二人以上で行い、射手が発砲し弾薬手はベルトリンク(弾帯)の保持などを行う。歩兵にとって、もっとも身近で信頼できる支援火器である。
最初に実用化された機関銃はガトリング砲だといわれ、南北戦争さなかの1862年にアメリカのリチャード・ジョーダン・ガトリングが発明した。ガトリング砲は束ねた銃身と薬室を手動で回転させる事により次弾を装填し連射を可能にする仕組みであった。日本国内で使用された最初の機関銃はこのガトリング砲で、1868年に戊辰戦争の一局面である北越戦争で長岡藩の家老を務めていた河井継之助が初めて実戦投入した。その後、1871年にはガス圧を利用するホチキス機関銃が、1884年には反動を利用したマキシム機関銃が登場する。これにより、機構が複雑で、重量がかさむガトリング砲は急速に廃れていった。
日露戦争では日本軍はホチキス機関銃を、ロシア軍はマキシム機関銃を使用した。旅順攻囲戦でロシア軍の機関銃が攻撃側の日本軍に対し圧倒的な破壊力を示した。この当時は攻撃時における機関銃の運用法が確立していなかった。また初期の機関銃は大きくて重く三脚または銃架に載せ3人以上で運用するもので、陣地や要塞などの防御兵器には向いていたが攻撃には不向きであった。その後、攻撃時に歩兵とともに前進し1~2人で運用できる軽機関銃が開発された。
第一次世界大戦でも機関銃は大いに威力を発揮し、鉄条網で足止めされた突撃する歩兵を恐るべき勢いでなぎ倒し、攻撃側は常に大量の犠牲者を産むこととなった。その為、双方とも塹壕に篭り、陣地を構築して戦線が停滞することとなり、戦車を誕生させる原因にもなった。また、航空機の武装としても取り入れられ、地上使用のものよりより軽量で高連射速度の機関銃が求められ、開発されていった。
第二次世界大戦でドイツ軍が使用したMG34は、通常は軽機関銃として、三脚をつければ重機関銃として使用できる多目的機関銃として開発された。GPMG(汎用機関銃)の先駆けである。
軽機関銃はその用途から「SAW(分隊支援火器)」とも呼ばれる。
自動小銃と呼ばれるカテゴリーもある。これは小銃(ライフル銃)の連射機能を高めたものと言え、マシンガンとライフル銃の中間的存在と言える。
広義には拳銃弾を使用する短機関銃(サブマシンガン)もこの部類に含まれる。
航空機がジェット化されると、高速の航空機にとり、通常の機関銃、機関砲では散布する弾数が少なく、より高連射が効く機関銃としていわゆる「バルカン砲」としてガトリング砲が復活した。
[編集] 使用法
通常は4名の要員によって使用される。指揮者、観測員、射手、給弾手である。