殿城口駅
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殿城口駅(とのしろぐちえき)は1928年1月10日から1972年2月19日まで設置されていた上田交通真田傍陽線の駅で1953年までの駅名は川久保駅(かわくぼえき)。廃線と同時に廃駅となった。
[編集] 概要
伊勢山駅でも触れているが上記線の前身上田温泉電気軌道北東線の第一期線上田駅~本原駅間はきっかけとなった鉄道敷設運動の経緯から当初神川鉄橋は現在の国道144号線川久保橋より下流、殿城村付近に建設されることになり路線も同村を回るルートで計画されたが建設負担金が集まらないとの理由から殿城村が脱落したため川久保橋付近に鉄橋が建設され、同時に伊勢山トンネルも建設されるルートに変更された。ルート変更によって生まれた駅が当駅である。駅は神川鉄橋を渡ってすぐの場所に建設された。
駅は設置時川久保橋の近くにあり、同時に設置された場所の住所が小県郡本原村大字下原小字川久保(現在は上田市真田町下原)であったため川久保駅(かわくぼえき)と称していたが脱落した殿城村の住民が歩いて利用していたという事情からか1953年に殿城口駅(とのしろぐちえき)に変更している。
駅は前駅伊勢山駅同様ホームが一面あるだけの駅だが前駅との相違点は駅舎があり駅員が配置され駅員が切符を販売する駅であったことである。
駅の廃止後は上田交通→上電バスのバス停留所となったが前駅の廃止後と同様川久保橋の近くにある。
[編集] 神川第一鉄橋(川久保鉄橋)について
上田交通真田傍陽線(建設当時は上田温泉電気軌道北東線)の難工事として伊勢山トンネルと共に挙げられるのが神川第一鉄橋、通称川久保鉄橋の建設である。神川第一鉄橋は当初殿城村をまわるルートを採用していた事から下流に建設される事になっていたが殿城村の脱落から伊勢山トンネル付近、開通時の場所に建設されたわけである。伊勢山トンネルの掘られた付近はV字型の谷に位置していたためプレートガーター方式とは行かず4連ケーソンガーター、伊勢山トンネル出口付近と当駅の付近にプレートガーターを2連建設するというスタイルで完成。結果特徴のあるスタイルの鉄橋となったのである。真田傍陽線は全区間逆U時型の架線柱で電線を支えていたがここのもご多分に漏れずにである。しかし橋脚から伸びているため最初は木柱の2本足して次足してあったが1958年にコンクリートの柱に変えられ次足の必要がなくなった。以降廃止まで続けられるのである。
ちなみに第一と称されるのは本原駅~横尾駅間にも神川鉄橋がありあちらの正式名称が神川第二鉄橋だからである。両方とも廃止後取り壊され現存しない。