本原駅
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本原駅(もとはらえき)は1928年1月10日から1972年2月19日まで設置されていた上田交通真田傍陽線の駅で真田駅方面に行く本線と傍陽駅方面へ行く支線の分岐駅。廃線と同時に廃駅となった。
[編集] 概要
上田交通真田傍陽線の前身、上田温泉電気軌道の北東線は1927年11月20日に開業しているが路線には上野山トンネルと川久保鉄橋という難工事があり第一期として予定されていた上田駅~本原駅間をすべてこの日に開通させるわけに行かずトンネルの入り口駅である伊勢山駅を暫定の終点として開業したわけであるが暫定開業直後に難工事が完了し小県郡本原村(のち同郡真田町、現在は上田市)に路線が達した。予定の第一期工事区間が1928年1月10日に完工、当駅が川久保駅(戦後殿城口駅)・下原下駅と共に当日設置・開業となったわけである。
[編集] 最初の駅は後の留置線にあった
1972年2月19日(廃止年月日)当時駅は2面2線のホームで交換設備を持ち真田・傍陽方面には三本の線路があり一番左に留置線があった(中央は傍陽方面へ行く線路、一番右は真田方面へ行く線路。ちなみに2線は駅に入る直前で合流する。)が初代の駅は留置線にあったとされている。というのも留置線にはホームの名残があり開業時にはここから電車が発着していたという。しかし開業時にはすでに第二期の工事が始まっていて初代の駅から少し下ったところに信号場が完成、ここを介して列車交換が行われていたが1928年4月2日に傍陽駅まで開通する(※ 真田駅まで開通したのは同年5月1日)と下ったところにホーム・駅舎が作られ初代の駅は留置線となり区間運転の電車の待機用につかわれるようになったわけである。1940年頃には上田温泉電気軌道青木線で使用されていたチンチン電車の廃車体が留置線の隣に置かれ、1960年以降ブリキのスレート板で覆って放置されて廃駅まで続くのである。
分岐駅となったぐらいだから駅員が配置され廃止まで駅員が切符を販売していた。また、駅は分岐駅らしく電車の出入りが激しくよく事故が起きていたという。
駅の廃止後は上田交通→上電バスの停留所となる。最初は並行する国道144号(廃止以前から、現在は真田町道を経て上田市道)に設置されたが1984年にかつての線路に同線のバイパス(現在は本線)が完成するとそこに移転し現在にいたっている。