毛利元賢
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毛利 元賢(もうり もとかた、寛文10年6月14日(1670年7月30日) - 元禄3年5月21日(1690年6月27日))は、周防国徳山藩の第2代藩主。父は初代藩主・毛利就隆(元賢は五男)。母は中川重政の娘・禅海院。正室は酒井忠直の娘。官位は従五位下。日向守。
1670年6月14日、江戸で生まれる。三人の兄が早世し、四兄の毛利元次が庶子だったために世子となる。1679年、父の死去により後を継ぎ、1688年12月に叙任するが、1690年5月21日に嗣子なくして死去し、後を元次が養嗣子として継いだ。法号:大陽院殿玉峰澄和大居士。墓所:東京都港区愛宕の青松寺。
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