水野透
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水野 透(みずの とおる、1960年9月18日 - )は、大阪府出身のお笑い芸人。藤原光博とお笑いコンビ・リットン調査団を組む。
桃山学院大学に入学後、自らプロレス同好会を立ち上げる。部員勧誘ポスターをアントニオ猪木やジャイアント馬場ではなく、ボブ・バックランドという外人レスラーを用いて作ったところ、それを食入るように見ている男(藤原光博)が現れる。そこで水野が藤原に声をかけ、ともにプロレス同好会で学生時代を過ごすこととなる。
大学卒業後、お笑い芸人になるべく東京へ旅立ち、ビートたけしに履歴書を渡しに行くが、返事をもらう前にホームシックになり帰阪する。帰阪後、大阪のお笑い集団に入り、4人組のユニットを組まされるが、半年で解散。その後、吉本興業の新人オーディション開催を知り、そのときに藤原とコンビを組み、芸能界に入る事となる。なお、同じオーディションを東野幸治も受けていた。NSC出身組の今田耕司や130Rとほぼ同期にあたる。
2005年の元旦に番組の生放送中、金タライを吊るしたひもを顔に落ちる手前のどこで止めることができるか競うゲーム(止めるのが遅いと顔に落ちる)で、金タライをおもいきり顔面にあて出血し、スタジオから退出した。(約1時間後に鼻の上にばんそうこうをつけ復帰したが、その時スタジオにいた人たちは騒然だった。)その出来事で、次の回(2006年元旦)でそのゲームに「ハイパーミズノゴロシ」という名前が付いた。さらにその回で山崎邦正が顔面をケガした。
最近アルバイトをリストラされた。
2007年2月7日(関西地域)放送のダウンタウンのガキの使いやあらへんでの 山-1グランプリという、ネタ見せ企画に,永遠の若手として相方と共に登場。しかし、2人共放送できるネタではなかった ため、あえなくカット。(水野は、トリだったにもかかわらずカットされるという前代未聞の伝説をつくる。理由は過剰な下ネタ)
2006年10月3日より初の冠番組「水野キングダム」(東京MXテレビ)がスタートした。
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