ボブ・バックランド
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ボブ・バックランド(Bob Backlund、1949年8月14日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州プリンストン出身のプロレスラーである。身長193センチ、体重115キロ。ニックネームは「ニューヨークの帝王」又は「超新星」。
[編集] 経歴
ノースダコタ州立大学在学時の1971年、NCAAのアマチュアレスリング選手権で優勝。卒業後プロレスラーを目指しミネアポリスでトレーニングを積み、1973年にテキサス州アマリロに転じデビュー。そこではドリー・ファンク・ジュニアのコーチのもと、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセンとともに練習に励んだ。その縁あって1974年7月全日本プロレスに参戦。これがバックランドの初来日になる。
その後NWA圏に入り、1976年にハーリー・レイスを下しミズーリ州ヘビー級王座を獲得。
1977年WWF(現・WWE)に入団。ビンス・マクマホン・シニアは、かつてのジャック・ブリスコを髣髴とさせるアスリート・タイプのバックランドを、怪力ブルーノ・サンマルチノ時代との差別化を図る上で最上の選手と判断し、バックランドは瞬く間にWWFのトップに駆け上がる。1978年2月20日、スーパースター・ビリー・グラハムを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。
新日本プロレスにも王者として来日し、たびたび防衛戦を行っている。1979年11月30日に徳島でアントニオ猪木に敗れ一時王座を失っているが、その後猪木が初防衛戦の内容を不満として王座を返上したため、ベルトはバックランドのもとに戻った。
またWWF王座であったこの間に他の全米三大王座であった、AWA王者ニック・ボックウィンクル(1979年3月25日、トロント)、NWA王者ハーリー・レイス(1980年9月22日、ニューヨーク・1980年11月7日、セントルイス)、NWA王者リック・フレアー(1982年7月4日、アトランタ)との王座統一戦を行っている(王者はいずれも当時、全て引き分け)。
1980年には猪木とのタッグで第1回MSGタッグリーグを制覇。
WWFがビンス・マクマホン(シニアの息子)の支配下になると、全米制覇のトップに華のないバックランドは不適格と判断され、1983年12月26日、アイアン・シークに敗れ王座転落。「ニューヨークの帝王」には5年10ヶ月の間君臨した格好となった。
WWFを離れた後は第2次UWF、UWFインターナショナルに参戦したが、高田延彦に3連敗を喫するなどして精彩を欠いた。
1994年秋、突如WWFに復帰。嫌味な政治家のギミックで登場し、11月23日ブレット・ハートを破り、11年ぶりにWWF王者に返り咲く。しかし11月26日にケビン・ナッシュ(当時ディーゼル)にわずか8秒で敗れ、文字通りの三日天下に終わった。
その後バトラーツ、新日本プロレスに単発参戦した後は、コネチカット州で建設資材を扱う会社を経営し、プロレスラーとしてはセミリタイア状態である。
[編集] 得意技
- チキンウイングフェースロック
- アトミック・ドロップ
- ジャーマン・スープレックス
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