沢村城
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[編集] 概要
鎌倉時代初期に、那須氏初代那須資隆の七男沢村満隆によって築かれたという。以後沢村氏の居城として使われたが、塩谷氏との境界に当たり、両者の間で何度か攻防が繰り広げられた。応永21年(1414年)頃、福原城の那須資之(上那須家)と、沢村城の、弟・那須資重(下那須家)との対立が表面化し、那須氏が分裂すると、沢村城も攻撃の対象となり、同年、那須資之(上那須家)の攻撃を受ける。城主那須資重は、城を脱出し、稲積城を経て、応永25年(1418年)、烏山城の完成後は、そこを居城とした。
一方、その後の沢村城は、寛正元年(1460年)、塩谷氏により攻略され、以後、塩谷氏の城代が置かれた。戦国時代後期まで、使用されていたと見られる。現在も、城山全体に、土塁・空堀などが良好な形で現存している。