河上清
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河上 清(かわかみ きよし、1873年8月2日 - 1949年10月12日)は、米国で活躍した日本人ジャーナリスト。山形県出身。旧姓は宮下。後に母方の河上家を継いだ。
米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)卒業後、万朝報記者となり社会主義とキリスト教に関心を抱き、足尾銅山鉱毒事件などの追及を行った。1901年社会民主党の結成に加わるが、同党が禁止されると、身の危険を感じて渡米。大学で学びながらジャーナリストとしての活動も再開。キヨシ・カール・カワカミ(K.K.カワカミ)の筆名を用いる。折りしも日露戦争が始まった事から万朝報の特派員の名目で同地に留まり、その後もフリージャーナリスト、時事新報・毎日新聞の客員特派員としてアメリカでの執筆活動を続け、その間にアメリカ人女性と結婚した。
太平洋戦争開戦直後、スパイ容疑で逮捕されたが、彼を知るアメリカ人有力者の助力もあって釈放される。以後も日本には戻らずワシントンD.C.で静かな余生を送った。
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[編集] 著書
- Japan and World Peace, 1919.
- The Real Japanese Question, 1921. ISBN 0405112750
- Japan Speaks on the Sino-Japanese Crisis, 1932.
- Manchoukuo: Child of Conflict, 1933. ISBN 0404036392
- 『シナ大陸の真相―1931-1938』 ISBN 4886561888
- Japan in China, Her Motives and Aims, 1938.
- The History of Political Parties in Japan ISBN 0313269971
[編集] 参考文献
- 古森義久 『嵐に書く―日米の半世紀を生きたジャーナリストの記録』 ISBN 4620305642 ISBN 4061848046
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- JOG(210) 河上清~嵐に立ち向かった国際言論人 (要領の良い評伝)
- About Conspiracy of Japan (1932年の著書 "Japan Speaks" の一部)
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