社会民主党 (日本)
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社会民主党(しゃかいみんしゅとう)という政党は歴史上いくつか存在する。現在存在する社会民主党については社会民主党(日本 1996-)を参照。
目次 |
社会民主党(日本 1901)
1901年に結成された日本で最初の社会主義政党。創立者は、片山潜、安部磯雄、木下尚江、幸徳秋水、河上清、西川光次郎の6名で、このうち幸徳を除く5人はキリスト教徒であった。党の幹事は片山と木下の2人であった。
1901年4月18日に結成し、党則の第1条に「我党は社会主義を実行するを以て目的とす」という一文を掲げた。同時に、人類同胞主義、軍備全廃、階級制度全廃、土地・資本の公有、交通機関の公有、公平な財富の分配、参政権の平等、教育の公費負担の8項目からなる党の理想と、28項目からなる綱領を含んだ「社会民主党宣言書」を発表し、これが『労働世界』をはじめ『毎日新聞』、『万朝報』、『報知新聞』等に掲載された。19日に幹事の木下が結成の届出を出したが、警察は20日に木下を神田警察署に呼び出し、「社会民主党は安寧秩序に妨害ありと認むるを以て治安警察法第八条二項に依り其結社を禁止する旨内務大臣より達せられたり。右伝達す」という警視総監安楽兼道の命令書を手渡した。宣言書を掲載した新聞等は発禁になった。
こうして、社会民主党は結成の2日後に禁止された。片山は、妻の出産が重なってこの時期の事務から外れていたらしく、後に、20日に結成したところその日のうちに禁止にあったという記事を書いた。この結成後2時間で禁止というエピソードは、その後長く信じられた。もっとも、片山が指摘したように、警察が事前に社会民主党の結成を探知し、内務省が事前に禁止の方針を決めていたことは事実であった。官憲側から見れば、届出を受理した当日に禁止したのであるから「即日禁止」となる。
創設メンバーらは、直後に綱領を変更して社会平民党を作ったが、これも禁止された。その運動は、社会主義協会と平民社に受け継がれていった。
参考文献
- 「社会民主党百年」資料刊行会編 / 山泉進編『社会主義の誕生-社会民主党100年』、論創社、2001年5月。ISBN 4-8460-0285-3
- 『初期社会主義研究』第13号(特集=社会民主党百年)、初期社会主義研究会、2000年12月。
社会民主党(日本 1951-1952)
社会革新党が1951年改称して名乗った政党名。翌1952年、農民協同党所属議員の一部と合同し協同党を結党した。
社会民主党(日本 1996-)
1996年に日本社会党が改称して発足した社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。略称は社民党または社民。
日本の政党 | |
---|---|
党名: 英文名: |
社会民主党 Social Democratic Party(SDP) |
党首: | 福島瑞穂 |
幹事長: | 又市征治 |
成立年月日: | 平成8年(1996年) |
本部所在地: | 東京都千代田区永田町一丁目8番1号 |
衆議院議員: | 7 (平成18年(2006年)1月20日現在) |
参議院議員: | 6 (同上) |
党員: | 約30,000人 (平成15年(2003年)12月現在) |
政党交付金: | 10億600万円 (平成18年(2006年)現在) |
ウェブサイト: | 社会民主党 |
シンボル: | - |
![]() 社会民主党本部 |
概要
初代党首は村山富市だったが、総選挙を控えた1996年9月土井たか子に代わった。議会勢力としては、社会党の左派を継承するもので、右派および左派の一部の議員は同じ年に成立した民主党に参加した。政権に対しては、日本社会党(以下、社会党)をひきつぎ1998年5月まで自由民主党、新党さきがけとの3党協議の枠組みを維持したが、以降は野党に転じた。
はじめ社会党末期の路線を継承して「社民・リベラル」を掲げたが、野党に転じてから「リベラル」への言及はしだいに減り、相対的には左寄りの「社会民主主義」色を押し出すようになった。2006年決定の「社会民主党宣言」では、リベラルの語は完全に消えた。ただし、ドイツ社会民主党、スウェーデン社会民主労働党といった西欧・北欧などの社会民主主義政党と比べると、後述するように安全保障政策などに対する姿勢は大きく異なっている。
平和と福祉、環境保護が党の訴えの中心である。日本国憲法の擁護と憲法の理念の実現を呼びかけ、平和外交による紛争対処を唱える。しかしもともとイデオロギー上の関係から反米国かつ親中国・韓国の姿勢が見られると考える向きもある。特に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への過去の対応が十分に総括されていないとの批判は強い(これは当時の幹部が北朝鮮から資金面で援助を受けていたのではと一部では憶測が流れている)。経済面では福祉社会を目標にして、雇用の安定・創出と社会保障の充実を柱にした経済対策の必要を説く。男性議員が多い他党と比べて女性の比率が高いのも特徴で、男女の平等ないしは女性の権利の確立を明確に志向する。
社会党の基盤であった労働組合の大半が民主党に移った後、土井党首は土井の考え方に共感する市民運動出身者を積極的に各級選挙立候補者に起用した。彼女たちは土井チルドレンと呼ばれた。2000年の第42回衆議院議員総選挙では4議席増の19議席を確保。しかし、2001年参議院選挙では得票・議席とも大幅に減らし、結果的に同年の第7回党大会で幹事長に福島瑞穂が、政審会長に辻元清美など市民運動出身者が党の重要ポストに就くことになった。これ以後、自民党に対する抵抗性が増した。2002年3月に市民派の代名詞とも言われる辻元が秘書給与問題で議員辞任する。この事件に対する対応や、日本人拉致問題の対応の甘さが党内外から問題となり、離党者(田嶋陽子等)が出た。その結果、2003年の第43回衆議院議員総選挙では、6議席と惨敗(党首の土井も小選挙区で落選。比例で復活)した。市民運動出身の議員はこの煽りを受けほとんどが落選した。土井は敗北の責任をとって党首を辞め、11月15日に幹事長であった福島瑞穂が後任に選ばれた。幹事長には労組出身者の又市征治が就任、市民派の影響力は大きく後退した。
2004年6月30日、福島党首は、「自衛隊は違憲」という見解を示した。2004年参議院選挙では、福島党首をはじめ2議席を確保するに止まる。
2005年2月17日、党幹部は財政難を理由に党職員を整理解雇する方針を職員団体に通告した。職員団体はこの整理解雇に反対したが、党は職務怠慢などを理由として示し、3人を解雇した。被解雇者3人は労働組合を結成し、解雇無効の訴訟を起こしている。労働者の代表を称する政党の内部で労働争議が起こったことでこの件は話題になった。2007年4月11日の一審判決は、社民党全国連合が勝訴した。
8月8日、衆議院が解散されると、翌8月9日、社民党副党首の横光克彦が離党。2005年8月17日、社民党元政審会長の濱田健一が離党表明。いずれも民主党に鞍替えし、8月19日、第44回衆議院議員総選挙候補者として、横光は大分3区、濱田は鹿児島4区から民主党の公認を受けた。濱田の出身組織である鹿児島県教職員組合は、比例区でも民主党を支援すると表明。横光は当選(比例区での復活)、濱田は落選した。その一方で、社民党は離党していた辻元清美を大阪10区で公認。同区では落選したものの、比例近畿ブロックで復活当選した。しかし、執行猶予期間中の辻元が議員になることを問題視する声も強い。なお、議席数は公示前の5議席から7議席に回復したものの、党首辞任後も党の顔であった土井たか子が落選するなど、依然として法案提出権のない小政党であることに変わりはない。
2006年2月2日、党本部で開かれた常任幹事会で、自衛隊が「現状、明らかに違憲状態」であり、「縮小を図り」、「非武装の日本を目指す」との内容を含んだ社会民主党宣言が了承され、11~12日にかけて行われた党大会で、上記方針を含む「社会民主党宣言」が正式採択された。これにより旧社会党時代の1994年に、当時の村山富市首相が打ち出した自衛隊合憲・容認路線を修正し、ほぼ村山内閣以前に戻った。これは地方での討論を重ねた結果、多くの党関係者から出されていた意見を採り入れたものである。また宣言採択と同時に、1993年に政治改革関連4法案に反対し処分された17名のうち離党した者を除く9名の処分を取り消し名誉を回復したほか、元党首の村山富市、土井たか子両氏が「名誉党首」に就任する事も決定された。
社会民主党全国連合・執行部役員表
党首 | 副党首 | 幹事長 | 政策審議会長 | 国会対策委員長 | 参議院議員会長 | 参議院幹事長 |
---|---|---|---|---|---|---|
福島瑞穂 | 照屋寛徳 渕上貞雄 |
又市征治 | 阿部知子 | 重野安正 | 渕上貞雄 | 又市征治 |
歴代の社会民主党全国連合・執行部役員表
党首 | 副党首 | 幹事長 | 政策審議会長 | 院内総務会長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|---|
村山富市 | 久保亘、岡崎トミ子 日野市朗、五十嵐広三 |
佐藤観樹 | 伊藤茂 | 池端清一 | 久保亘 |
全国連合党首 全国連合副党首 全国連合幹事長 政策審議会長 院内総務会長 参議院議員会長 土井たか子 〃 、野坂 浩賢、上原 康助、 、 伊藤 茂 及川 一夫 秋葉 忠利 日下部禧代子 〃 、日下部禧代子、 、 、 〃 秋葉 忠利 前島 秀行 〃 〃 、 〃 、 〃 、伊藤 茂、 渕上 貞雄 〃 〃 村沢 牧 〃 、山口 鶴男、梶原 敬義、 〃 、 〃 濱田 健一 中西 績介 梶原 敬義 〃 渕上 貞雄、清水 澄子、 〃 、 〃 、 福島 瑞穂 辻元 清美 〃 〃 〃 〃 、 〃 、東門美津子、 、 〃 〃 〃 山本 正和 〃 〃 、谷本 魏、 〃 、 、 〃 大脇 雅子 〃 〃 〃 〃 、山本 正和、 〃 、中西 績介、 〃 〃 〃 大渕 絹子 〃 〃 、横光 克彦、照屋 寛徳、 〃 、 〃 阿部 知子 〃 渕上 貞雄 福島 瑞穂 〃 、 〃 、 〃 、 〃 、 又市 征治 〃 横光 克彦 〃 〃 〃 、 、 〃 、 、 〃 〃 重野 安正 〃
社会民主党党首一覧
社会民主党党首 | ||
---|---|---|
代 | 党首 | 任期 |
1 | 村山富市 | 平成8年(1996年) |
2 | 土井たか子 | 平成8年(1996年) ‐ 平成15年(2003年) |
3 | 福島瑞穂 | 平成15年(2003年) ‐ |
党勢の推移
- これ以前については、党勢の推移(日本社会党)を参照
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(改称時) | 63/- | 511 | 第41回総選挙前には30(大多数民主党へ移籍) |
第41回総選挙 | ●15/48 | 500 | |
第42回総選挙 | ○19/76 | 480 | |
第43回総選挙 | ●6/65 | 480 | |
第44回総選挙 | ○7/45 | 480 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(改称時) | 39/- | - | 252 | 第18回通常選挙前には20(大多数民主党へ移籍) |
第18回通常選挙 | ●5/37 | 8 | 252 | |
第19回通常選挙 | ●3/24 | 5 | 247 | |
第20回通常選挙 | ●2(会派+1)/15 | 3 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院)、(2) 参議院(2002年まで)(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。
所属国会議員
社会民主党の国会議員は平成18年(2007年)4月13日現在、衆議院議員7名、参議院議員6名の計13名である。
衆 | 小選挙区 | 照屋寛徳(沖縄2区) | ||||
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比例区 | 菅野哲雄(東北) | 日森文尋(北関東) | 阿部知子(南関東) | 保坂展人(東京) | 辻元清美(近畿) | |
重野安正(九州) | ||||||
参 | 選挙区 | 近藤正道(新潟) | ||||
比例区 | 大田昌秀(01年) | 又市征治(01年) | 田英夫(01年) | 福島瑞穂(04年) | 渕上貞雄(04年) |
社会民主党の政権ポスト
()内の党内ポストは、入閣直前のポスト
- 平成8年(1996年)1月11日・第1次橋本龍太郎内閣
政党交付金
平成18年(2006年)現在の政党交付金
- 社会民主党 10億600万円