浦上直宗
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浦上直宗(うらがみなおむね 永禄10年(1567年)? - 没年不詳)は浦上誠宗(浦上政宗の次男)の子。幼名・久松丸。生年は1568年とも。
父の死後に生まれたため、母の実家である黒田職隆・黒田孝高父子に養われた。 その後、宇喜多直家に擁されて叔父・浦上宗景を追放した。1589年までに死んだとも、関ヶ原合戦に出陣したともいうが、一切不明。
しかし、のちの研究では浦上秀宗と混同していたり、追放した大叔父・宗景の声援で当主の座を固めつつも宇喜多直家に暗殺されたとも言われている。
ただ、黒田孝高の甥ともあって、殺さずに宇喜多直家・宇喜多秀家父子の配下になったか浦上成宗(浦上宗景の末子)についたと思われる。1577年以降の動向は全く掴めないのは確かなことである。