海上の森
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海上の森(かいしょのもり)とは、愛知県瀬戸市の海上町から屋戸町、吉野町、広久手町にかけての地にある約530haの里山と森林であり、大半は県営の自然公園「愛知万博記念の森」として愛知県が市民の協力を得ながら管理している。 2005年日本国際博覧会(愛知万博/愛・地球博)の会場候補地として注目を浴び、わが国や世界の自然保護運動や今後の国際博覧会のあり方に影響を与えた場所である。今後は、愛知万博の理念や成果を継承すべく、将来にわたって保全していくこととなっている。
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[編集] 歴史
かつては、瀬戸焼の陶土や窯の燃料の採取のために活用された丘陵地・湿地であり、明治期には樹木がほとんどなくなってしまった。その後、その丘陵地に植林などを行い、戦後に森林を回復した。しかし、1988年に愛知万博構想が発表され、1990年に万博の候補地となり、万博前に、地域高規格道路(名古屋瀬戸道路)と、それに並行、接続する幹線道路を建設し、閉幕後に住宅地、学術研究機関を設置する構想も発表された。
それに対して、環境問題に関心のある市民は海上の森自然観察会、海上の森探鳥会などの自然とのふれあい活動を活発に開始した。そのなかで、東海地方にしか植生しないシデコブシをはじめとした貴重な動植物の減少や、絶滅危惧種のオオタカなどへの影響を心配して、万博は時代に逆行するものとして、大規模な反対運動が行われた。1996年の万博開催立候補から2000年の開催最終登録にいたる数年間は、博覧会国際事務局(BIE)や世界の主要な自然保護団体を巻き込んだ反対運動に発展。BIEも「自然を破壊する開発型の万博の開催は認めない」とした。2000年5月には自然保護団体を含んで愛知万博検討会議が開かれ、その結果、主会場を既存の公園である「愛知青少年公園(現在の愛・地球博記念公園)」へ変更し、海上の森の会場は小規模な「瀬戸会場」として自然自体を展示物とすることと、自然保護団体や市民団体が主催で実施する「市民参加企画」をコンセプトとすることに変更することになった。その結果、登録博としては参加国誘致開始期限(開催概ね5年前)ぎりぎりの2000年12月に開催承認を得た。 万博開催中は、市民参加型企画と自然体感プログラムの中心地として展開。日本の自然保護運動の中心地として認知されるようになった。 博覧会閉幕後も自然体感企画や青少年向けの講座などを実施している。
[編集] 愛知万博関連の歴史
- 1988年 愛知県が万博構想を発表する。
- 1990年2月 万博会場候補に海上の森が正式に挙がる。
- 1997年6月 モナコで開催されたBIE総会でカナダのカルガリーを破って2005年の開催地に決まる。
- 1999年4月 海上の森で絶滅危惧種のオオタカの営巣が民間団体の手で確認される。
- 1999年5月 海上の森で絶滅危惧種のオオタカの営巣を愛知県として確認する。
- 2000年9月 主会場を海上の森から愛知郡長久手町の愛知青少年公園(現在 愛・地球博記念公園)に変更することを発表。
- 2000年12月 パリで開催されたBIE総会で愛知万博が正式登録される。
- 2002年10月 長久手・瀬戸両会場で起工式。樹木を伐採せずに移植するなど最新鋭の環境配慮の工事を行う。
- 2005年3月25日 愛知万博が開幕。
- 2005年9月25日 愛知万博が閉幕。
- 2006年9月25日 瀬戸会場跡地の一部と、旧瀬戸愛知県館が「あいち海上の森センター」として整備され、オープン。
[編集] あいち海上の森センター ~ムーアカデミー~
2005年日本国際博覧会の閉幕から1年となる2006年9月25日に瀬戸会場跡地の一部と旧瀬戸愛知県館(瀬戸市吉野町)が「あいち海上の森センター」として整備され、オープン。施設の愛称は「ムーアカデミー」といい、万博時にパビリオンに住み着いたムササビの名前にちなんだ名称である(一般公募で決定)。各種自然体験教室を展開。海上の森全体の管理施設と自然体感・学習施設の機能を担うことになった。オープンに前後して万博のプログラムであったインタープリター(自然案内人)による海上の森の見学ツアーを再開。さらに万博のパビリオン施設であった「里のビジターセンター」、「窯の歴史館(平安中期の窯跡を保存した)」、「まゆ玉広場(休憩所を兼ねた展示施設)」、「森のやぐら(高さ14メートルの展望台がある物見の丘)」の公開を再開した。 施設の周りの小河川にはビオトープがあり、ホタルの育成などを行っている。
名誉センター長は、愛知万博広報プロデューサーのマリ・クリスティーヌが務めている。
[編集] 里山サテライト(愛称:かたりべの家)
2004年から2005年にかけて海上の森の中央(瀬戸市海上町)に整備された休憩所。あいち海上の森センターのサテライトである。休憩スペースと展示スペースで構成されており、維持管理は移築にかかわった人を中心に市民が行っている。別棟の循環式トイレが併設されている。 施設の近くに農業体験が出来る水田がある。 なお、愛称は、上記の「ムーアカデミー」との同時公募により決定した。
休憩所は海上の森に80 数年建っていた古民家を移設・整備したもの。愛知県瀬戸市の市民グループ「海上古民家再生プロジェクト実行委員会」が中心となり、建築家三輪邦夫氏(一級建築士)をはじめとする多くの専門家や市民ボランティアの参加のもとで移築された。元となった民家は、軒が高いなど今ではほとんど残っていない建築様式を採用したものである。もともとは瀬戸市赤津町にあったものが1918年(大正7)年に同市海上町に移築されたものであることが、調査で明らかになった。
老朽化が激しかったが、いったん解体した後、柱や瓦を補強するなどして、1年8カ月かけて元の場所から約500メートル離れた所で建て直された(いずれも瀬戸市海上町)。愛知万博開幕直前に完成し、移築プロジェクトの内容は、2005年4月3日愛知万博の瀬戸愛知県館内の「森の劇場」で報告された。
[編集] 交通アクセス
[編集] あいち海上の森センター(瀬戸市吉野町・広久手町方面)
- 愛知環状鉄道山口駅から徒歩25分
- 愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)・愛知環状鉄道八草駅から徒歩30分
[編集] 海上の森・里山サテライト(瀬戸市海上町方面)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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