澤野大地
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澤野 大地(さわの だいち、1980年9月16日 )は、男子棒高跳びの日本記録保持者(5m83cm)。日本高校2年歴代2位記録(5m25cm当時高校新記録)・日本高校記録(5m40cm)・ジュニア日本記録(5m50cm)・日本学生記録(5m52cm)保持者でもある(2007年1月現在上記記載すべての記録を保持)。
大阪市西淀川区生まれ、千葉県出身、印西中、成田高、日大、ニシスポーツ。
自己最高記録は5m83cm(2005年)、室内で5m70cm。(共に日本記録)
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[編集] 経歴
初めは長距離を行っていたが、中学の監督の勧めで中学1年生から棒高跳びを始める。
高校時代には、97年(高2)・98年(高3)インターハイで連覇を達成。97年インターハイでは当時の高2最高タイ記録(5m10cm)で優勝。翌98年インターハイでは当時の高校記録(5m25cm(自己))・ジュニア日本記録を更新し優勝(5m40cm)。同年国体では少年共通男子棒高跳びを大会新記録(5m30cm)で優勝。
2003年、2004年の日本選手権にて2年連続日本新記録で連覇を達成。自己記録では2005年までに、3年連続日本記録を更新。
2003年には自身初の日本記録(5m75cm)を樹立し、同年開催のパリ世界陸上選手権に初出場、決勝進出を果たす。しかし決勝の公式練習中に左太もも肉離れを起こしてしまい、残念ながら決勝は競技開始直前に涙ながらに棄権した。
2004年のアテネオリンピックでは日本人としてこの種目20年ぶりの決勝進出。このときの予選最終跳躍(5m65cm)でバーに触れてしまい、半回転したものの奇跡的にバーは落ちなかった。決勝は13位(5m55cm)。
2005年には優勝確実と言われていた日本選手権で、体調不良にて記録なしに終わり同年開催の世界陸上選手権派遣を一時保留となる。その後に国外での国際陸連主催のグランプリシリーズに参戦。プラハ国際3位、パドパ国際2位、グランプリ最高峰の競技会シリーズ・ゴールデンリーグ第2戦ローマ大会では2位という海外の大会での輝かしい結果を残し、見事世界陸上選手権日本代表選手に選ばれた。 ヘルシンキ世界陸上選手権では、予選は風、決勝は雨風という悪条件の中8位入賞を果たす(5m50cm)。
2006年には日本人ボウルターとして初のアスレティック・ファイナル出場を果たす。 大陸別のワールドカップ代表にも選ばれた。 同年開催のアジア競技大会で日本勢としては24年ぶりの金メダルを獲得している。
[編集] 年次ベスト
[編集] 棒高跳び
- 1994年 3m80cm
- 1995年 4m30cm
- 1996年 4m80cm
- 1997年 5m25cm 高校2年歴代2位記録(当時高校新記録)
- 1998年 5m40cm 高校記録(当時ジュニア日本新記録)
- 1999年 5m50cm ジュニア日本記録
- 2000年 5m45cm
- 2001年 5m52cm 日本学生記録
- 2002年 5m51cm
- 2003年 5m75cm (当時日本新記録)
- 2004年 5m80cm 同上
- 2005年 5m83cm 日本記録
[編集] 主な戦績
国内での成績
- 1997年 インターハイ優勝
- 1998年 インターハイ優勝・国体少年共通棒高跳び優勝
- 1999年 日本選手権 棒高跳び 1位
- 2000年 日本選手権 棒高跳び 1位
- 2003年 日本選手権 棒高跳び 1位
- 2004年 日本選手権 棒高跳び 1位・国体成年男子棒高跳び 1位
- 2005年 静岡国際陸上・国体成年男子棒高跳び 1位
- 2006年 国体成年男子棒高跳び 1位
国際大会での主な成績
- 1997年 アジアジュニア選手権 棒高跳び 5位
- 2002年 アジア選手権 棒高跳び 1位
- 2003年 世界室内選手権 棒高跳び 予選落ち
- 2003年 世界陸上パリ大会 棒高跳び 決勝進出
- 2004年 アテネオリンピック 棒高跳び 13位
- 2005年 世界陸上ヘルシンキ大会 棒高跳び 8位
- 2006年 プラハ国際 優勝
- 2006年 W杯陸上アテネ大会 棒高跳び 2位
- 2006年 アジア競技大会 優勝
[編集] 外部リンク
- 6mへの道 - 本人によるウェブログ。
- NISHI A.C.