爆縮レンズ
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爆縮レンズ(ばくしゅくレンズ)は、原子爆弾に核分裂反応を発生させるための技術のひとつ。
原子爆弾の構造は、大きく分けて、ガンバレル方式(広島に投下された原子爆弾リトルボーイに代表される方式)とインプロージョン方式(長崎に投下されたファットマンに代表される方式)の二種類に分類されるが、爆縮レンズはインプロージョン方式の中心となる技術である。
人類初の原子爆弾であるガジェット (Gadget) と、長崎のファットマン以降、世界の核兵器の多くがこの技術を用いている。
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[編集] プルトニウム原爆の課題
プルトニウムを用いる原子爆弾では、確実に核分裂反応を起こし、超臨界状態にするために、周囲から強い力をかけて中心部を圧縮する必要がある。このように、周囲全体から圧縮をかけることを、インプロージョンや爆縮(ばくしゅく)という。
爆縮には、火薬が燃焼した時に発生する衝撃波を用いる方法が考案されたが、中心に球形のプルトニウムを置き、その周囲を火薬でぐるりと包み込んで、電気仕掛けで複数の位置から点火しただけでは、それぞれの点火位置から最も近いプルトニウムだけに力(圧縮力)が先に到達してしまい、核分裂反応が発生しない。また、圧縮力の到達にむらが生じると、プルトニウムもろとも木っ端微塵に飛び散ってしまうため、プルトニウムの周囲全体に均等な力を同時にかけ、圧縮力が逃げないようにすることが必要とされた。
[編集] 爆縮レンズの原理
マンハッタン計画の科学者らは、爆破加工に用いられていた爆薬レンズを応用する方法を考えた、燃焼速度の異なる火薬、すなわち、燃焼速度の速い火薬と遅い火薬を組み合わせる方法を考えた。球形のプルトニウムの周囲を火薬で包むという構造は同じだが、前述のように点火位置に近いプルトニウムだけ先に衝撃が伝わる事を防ぐために、遅い火薬をコブ状に追加した。これにより、点火位置の近くで先に伝わってしまう圧縮力が、速度の遅い火薬のコブで減速され、少し遅れてプルトニウムに到達するようになる。逆に、点火から離れた位置では速い火薬が多くなっているため、圧縮力が高速で伝わるようになり、球形のプルトニウムの全ての位置で、圧縮力と伝わるタイミングが一致するようになった。
この圧縮力の伝わり方がレンズの中の光に似ているため、爆縮レンズと呼ばれた。
[編集] 開発とその後
開発に至るまでは火薬の燃焼速度等、様々な条件が一致することが求められたため、 当時の火薬学で用いられていたCJ理論では取り扱えないほど精密な計算を要求されたため、新たにジョン・フォン・ノイマンにらによってZND理論が開発された。 しかし、ZND理論は大変に複雑で膨大な計算を要したため1940年代当時のロスアラモス研究所に集められたジョン・フォン・ノイマンらの数学者達の手によっても、優に10ヶ月以上の時間を要した。当時は、コンピュータが無かったためである。
計算の結果、点火装置の数と、それに応じるように配置された火薬のコブは、原子爆弾一つにつき32個が最適であると結論された。
原子爆弾が32面体(切頂二十面体)の構造を取ることは当然機密であったが、マンハッタン計画に参加した科学者の一部は、将来アメリカが核を独占する世界になることを恐れて、これらの情報をソビエト連邦に流した。ソビエト連邦はこれを基に第二次世界大戦後すぐに原子爆弾の開発を始め、スパイや共産主義思想を持つアメリカ科学者などからの継続的な技術情報の提供を受けながら4年後の1949年8月29日に核実験を行った。
その後も爆縮レンズの構造は機密扱いであり、トリニティ核実験の映像なども一部がカットされた状態で公開されていた。
このように爆縮レンズは極めて高度な技術であると認識されてきたが、インドに続いて2006年に非先進国の北朝鮮がプルトニウム型原爆実験を行ったことにより、核兵器開発における技術的な障壁はもはや消失したといえる。