真空チューブ列車
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真空チューブ列車(しんくうちゅーぶれっしゃ)とは、内面が滑らかなV字型チューブを地下、または海底に埋め、中を真空にし、摩擦力と空気抵抗をゼロに近づけることにより、地球の重力や最小限のエネルギー付加によって物資を輸送するシステム。真空チューブ鉄道、真空チューブ輸送ともいう。
[編集] 原理
地球上の物質は、すべて地球の重力により位置エネルギーを持っており、地球中心より離れるほど(つまり高いところにあるほど)大きな位置エネルギーを持っている。高いところと低いところの位置エネルギーの差は、その間を移動する運動エネルギーに等しい。すなわち、低いところから高いところに行くには、物質にその差分の運動エネルギーを付加しなければならない。しかし、前もって物質を高いところにおいていたとすれば、低いところに落ちてきたときは地球の重力により自然に運動エネルギーが付加されているため、その運動エネルギーを過不足なく利用できればその物質はまた同じ高さのところへ戻れるはずである。(詳しくは位置エネルギーやポテンシャルを参照のこと。)この原理を利用したのがこのシステムである。
加速時は列車の重み(地球の重力)で坂を下り、坂を上ることにより減速する。いわばジェットコースター的な鉄道である。ただし、現実にはチューブと列車の接触が避けられず摩擦力をゼロにするのは不可能なため、坂を上っても列車が同じ高さに戻ることはできない。よって、補助的にリニアモーターで引き上げる方式も考えられた。
また、加速を付けるのに地球の重力を利用しない方法も考案された。そのひとつが、次に説明するロケットエンジンの推力を利用する方法である。
[編集] 開発と挫折
昭和34年(1959年)から10年以上にわたり、当時名城大学理工学部教授(のちに学長に就任)であった小沢久之丞により、真空チューブ内にロケットを走らせるという「ロケット列車」の実験が実施された。実験で使用した車体は全長1m、直径8cm、重さ6.7kg、ロケットエンジン搭載というもので、昭和45年(1970年)の実験では1,600mを3秒で滑走し、計算上の時速2,500kmという驚異的な記録を出した。これは、東京~大阪間を14分で走り抜ける速度である。ただし実用化のためには加速時の重力(約30Gと言われる)の困難な課題があり、小沢の死去により開発は終了した。 (騒音の面は内面が真空なので2重以上のトンネルにすれば騒音はなくなる)
昭和40年代から50年代の少年用の科学系の図鑑には「未来の鉄道」として掲載されていたことが多かったが、現実には大断面チューブの強度や真空を保持する方法、安全性、さらに駅部などの「真空ではない空間」との取り合い等技術的な課題が山積しており、今のところ実現の見込みは立っていない。
なお、平成18年(2006年)5月14日閉館の東京・万世橋の交通博物館には、リニアモーターカーの模型とともにこの真空チューブ列車の簡単な模型があり、ボタンを押して動かすことができた。