矢川徳光
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矢川 徳光(やがわ とくみつ 1900年11月26日 - 1982年2月23日)は長崎県出身の教育学者。ソヴィエト教育学研究会会長。次女の矢川澄子は作家、詩人、翻訳家。長女の夫はチェロ奏者井上頼豊。
[編集] 来歴・人物
私生児として長崎市に生まれる。父は山伏、母は尼僧。1907年に母が発狂したため、11歳で住職のもとに預けられて育つ。
1919年、旧制長崎中学校四年修了で旧制山口高等学校に入学。1926年、京都帝国大学英文学科卒業。
戦前は日本大学工学部予科教授などを歴任。独学でロシア語を習得し、ソヴィエト教育理論や実践を紹介。
戦後は公職追放に遭ったが、民間教育運動の理論的指導者として活躍。1960年以降、ソヴィエト教育学研究会会長。
[編集] 著書
- 『新教育への批判』
- 『ソヴェト教育学の展開』
- 『矢川徳光教育学著作集』全6巻(青木書店)