石川総安
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石川 総安(いしかわ ふさやす)は、伊勢亀山藩の第8代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 天保4年1月8日(1833年2月27日) | |||
別名 | 吟次郎(幼名) | |||
戒名 | 興隆日運総安院 | |||
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 | |||
官位 | 従五位下、日向守。主殿頭 | |||
藩 | 伊勢亀山藩主 | |||
氏族 | 石川氏 | |||
父母 | 父:石川総般、養父:石川総佐 | |||
妻 | 正室:石川総佐の娘 | |||
子 | 石川総禄、娘(石川総紀室) 養子:石川総紀 |
文政3年(1820年)3月22日、第7代藩主・石川総佐が隠居したため、その養嗣子として家督を継いで第8代藩主となる。藩政では、倹約や禄高の改正、家臣の不正取締りなどを行なって窮乏した藩財政を再建させた。また、儒学や国学に通じた教養人だったため、学制改革を行なって、藩校である九思堂を創設している。
天保4年(1833年)正月8日、江戸で死去。後を養嗣子の石川総紀が継いだ。
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