福田和子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福田 和子(ふくだ かずこ、1948年1月2日-2005年3月10日)は、愛媛県出身の犯罪者である。
幼くして両親が離婚し、母親に引き取られる。その後キャバレーのホステスとして1982年、松山市内で福田の同僚だったホステス(当時31歳)の首を絞めて殺害、当時の夫などの依頼で家財道具などを持ち逃げし、ホステスの遺体を遺棄する、いわゆる「松山ホステス殺害事件」が発生した。
その後福田は幾度となく偽名を使ったり、美容整形を繰り返すなどして全国のキャバレーを転々とする生活を始める。愛媛県警察本部が懸賞金をかけた捜査を行い、やがて時効の近づいた1997年7月29日、福井市内で逮捕される。
1999年に判決、無期懲役刑が言い渡され和歌山県和歌山市の刑務所に収監される。
2005年2月病気で倒れ、3月10日、入院先の和歌山市内の病院にて脳梗塞のため死去。 享年58。
[編集] 事件発生から逮捕までのエピソード
時効までの15年近く日本各地を転々としていた福田だが、潜伏生活の中で最も大胆だったのは石川県金沢市で和菓子屋の後妻(婚姻せず。事実上の内縁関係)の座に納まっていたことである。
金沢市のスナックで働いていた福田はその店の客だった和菓子屋の主人に見初められて同棲するようになり、店も手伝うようになる。福田は非常によく働き接客業も得意だったことから店は忽ち評判となり、新しく改装するほどの繁盛店となった。和菓子屋の主人は福田を大層気に入り、正式に結婚を申し込むが、福田は正体の判明を懼れ結婚を渋る。
余りに結婚を渋る福田の態度に不審を抱いた親戚が警察に通報、警察は福田の逮捕に向かう。しかし当日、近所の葬式の手伝いに出掛けていた福田は警察の行動を素早く察知、咄嗟の判断で近くにあった自転車に乗り逃走。逮捕は失敗する。このとき警察は福田が整形手術を行っていた事実を初めて知り、当時の週刊誌でも取り上げられた。
その後も捜査網を巧みに潜り抜け逃亡を続けるが、1997年福井市内に潜伏中、行きつけのおでん屋のママと常連客の通報が切掛けとなり、逮捕。逮捕成功に繋がった情報の提供者に懸賞金が支払われた。
懸賞金は慈善団体に寄付が為され、また逮捕現場となったおでん屋は区画整理により取り壊され現存していない。
[編集] 外部関連記事
カテゴリ: 愛媛県の歴史 | 1948年生 | 2005年没 | 人物関連のスタブ項目