穂積八束
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穂積 八束 (ほづみ やつか、万延元年2月25日(1860年3月17日)- 1912年(大正元年)10月5日)は明治期の法学者。愛媛県宇和島市出身。東京帝国大学法科大学長。貴族院議員。日本法律学校(現在の日本大学)の設立に参画。 民法起草者の一人である穂積陳重は兄。
[編集] 経歴
- 1860年(万延元)2月28日 - 伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)に宇和島藩士鈴木重樹の子として生まれる。
- 1883年(明治16) - 東京大学文学部政治学科卒業。東京大学文学部政治学研究生。
- 1884年(明治17) - 文部省留学生としてドイツへ留学(欧州制度沿革史及び公法学修業)。ハイデルベルク大学入学。
- 1885年(明治18) - ベルリン大学に転学。
- 1886年(明治19) - ストラスブルク大学に転学。
- 1887年(明治20) - ライプチヒ大学に戻る。
- 1889年(明治22) - 帰国。帝国大学法科大学教授就任(憲法)。
- 1889年(明治22) - 法制局参事官。
- 1889年(明治22) - 日本法律学校(現在の日本大学)設立に参画。
- 1891年(明治24) - 兼任枢密院書記官。法学博士。『民法出デテ忠孝亡ブ』(『法学新報』第五号)発表(民法典論争を起こす)。
- 1897年(明治30) - 東京帝国大学法科大学長就任。
- 1899年(明治32) - 貴族院議員。
- 1906年(明治39) - 帝国学士院会員。
- 1908年(明治41) - 兼宮中顧問官。
- 1907年(明治42) - 正四位。
- 1909年(明治44) - 法科大学長を免ず。
- 1912年(大正元) - 依願免本官。
- 1912年(大正元)10月5日 - 逝去(52歳)。
- 1912年(大正元) - 東京帝国大学名誉教授。
- 1912年(大正元) - 勲一等瑞宝章。
[編集] 著書
- 『大日本帝国憲法講義』全11冊法律研究会・1889年(明治22年)
- 『法律及勅令ニ就テ』安井秀真刊・1892年(明治25年)
- 『憲法大意』八尾書店・1896年(明治29年)
- 『行政法大意』八尾書店・1896年(明治29年)
- 『国民教育 愛国心』八尾書店・1897年(明治30年)
- 『憲法提要』二冊・有斐閣・1910年―1911年(明治43年―明治44年)
- 『皇族講話会に於ける帝国憲法講義』協同会・1912年(明治45年)
- 『国民道徳の要旨』国民教科書共同販売所・1912年(明治45年)
- 『穂積八束博士論文集』有斐閣・1913年(大正2年)(本書には、高橋作衛の手になる略伝・年譜が搭載されている)