立花家千橘
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立花家 千橘(たちばなや せんきつ)は、音曲・落語の名跡。当代は4代目。
「立花家」の亭号は、もともと色物の音曲師などのものであるが、後には落語家も名乗るようになった。ちなみに「千橘」の名は三遊亭にもあり、最初に名乗ったのは2代目三遊亭萬橘。
なお、1918年の睦会名簿にも「立花家千橘」の名が見え、本名は小林利一郎というが、その他の詳細は不明。この時期、大阪には中村常次郎の千橘がいたため、二人の千橘が同時にいたことになる。
- 初代 立花家千橘(?)は、音曲師。元は横浜の天狗連の出身。明治30年代、2代目三遊亭圓橘門下で立花家千橘を名乗る。その前に初代三遊亭萬橘門下で萬福を名乗ったともいう。明治40年代、3代目昔々亭桃太郎を襲名し、三遊派に所属。大正中期には睦会に所属。横浜を中心に、東海道筋の地方での活動が多かった。本名は木村兼次郎。享年不詳。
- 2代目 立花家千橘(1873年 - 1922年4月14日)は、音曲師。あだ名は「まめだ」。初代千橘門下。1897年、上方に本拠を移す。安来節の「どじょうすくい」を売り物とした。本名は中村常次郎。享年50。
- 3代目 立花家千橘(1892年 - 1945年3月)は、上方噺家。茶番師の信濃家小半の実子。初め2代目桂三木助門下で桂小半を名乗る。1928年頃、立花家橘之助門下に移り、3代目千橘を襲名。小半時代から進取性に富み、古典落語に改良を加えたり、新作を手がけたりもした。美男子で踊りも得意であったことから、女性に人気があった。本名は坂本梅之助。享年52。
- 4代目 立花家千橘(1946年2月3日 - )は、上方噺家。2代目露の五郎兵衛門下で、桂団丸、露の団丸を経て、4代目千橘を襲名。音曲・舞踊にも通じ、芝居噺を得意としている。本名は田井利孝。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今落語系図一覧表(文之助系図)』(日本芸術文化振興会、2004年)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)