竹西寛子
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竹西寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家。
[編集] 来歴
広島市皆実町(現・同市南区内)に生まれる。第二次世界大戦中の1942年、県立広島第一高等女学校(現広島県立広島皆実高等学校の前身校)に入学、戦争末期には学徒動員により軍需工場などでの勤労奉仕に従事した。1945年8月6日の原爆投下の際は、たまたま体調を崩して在宅していたために大きな被害を免れることができたが、多くの級友が被爆死し、この体験が後の文学活動の根本になっている。1952年早稲田大学国文科を卒業した後、1957年に筑摩書房に入社し、文学全集等の編集に携わった。その傍らで評論を書き続け、1962年に退社。1964年に評論『往還の記 - 日本の古典に思う』で、田村俊子賞を受賞した。1978年、自身の被爆体験をテーマとする小説『管絃祭』を刊行し、第17回女流文学賞を受賞した。
[編集] 主要著書
- 『管絃祭』 講談社文芸文庫、1997年 ISBN 4061975595