広島県立広島皆実高等学校
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広島県立広島皆実高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまみなみこうとうがっこう)は、広島県広島市南区出汐に位置する県立高等学校である。
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[編集] 概要
吉田拓郎、奥田民生の出身校として有名。旧制高女(県立一女)を始まりとするため自由な校風で知られる。また、サッカー部は全国高校サッカー選手権大会出場の常連であることから、地元では「スポーツの皆実」と呼ばれることもある。しかし、硬式野球部が無いため甲子園の予選には出ていない。
サッカー部の他、バスケットボール部、柔道部、陸上部などが全国大会常連。ボート部、水泳部、アーチェリー部、弓道部などが全国大会へ出場経験あり。近年は水泳部、卓球部、剣道部などが県内上位入賞。全国大会優勝や上位入賞、国体優勝や上位入賞多数。
[編集] 2006年全国大会実績
- インターハイ
- 女子柔道部:団体戦準優勝・個人戦優勝。
- 陸上競技部:男子400m2位。
- 男子バスケ:3回戦進出。
- ボート部:準々決勝進出。
- 国体
- ボート部:少年女子舵手付クォドルプル優勝。
- 水泳部:少年A200mバタフライ2位。少年A100m自由形7位。
- そのほか
- 男子サッカー部:第85回全国高校サッカー選手権大会に出場決定。
- 女子バスケ部:第37回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に出場決定。
- ボート部(男子女子共に):第18回全国高等学校選抜大会に出場決定。
- アーチェリー部:高等学校アーチェリー全国大会に出場決定。
[編集] 校風
[編集] 沿革
- 1901年 広島県立広島高等女学校設立
- 1920年 専攻科を併設
- 1928年 専攻科を広島女子専門学校として分離昇格。(後の県立広島女子大学|現在の県立広島大学の前身)
- 1941年 広島県立広島第二高等女学校設立に伴い、広島県立広島第一高等女学校と改称。
- 1948年 学制改革により再編、広島県広島有朋高等学校及び併設中学校を設置
- 1949年 広島県広島有朋高等学校、広島県広南高等学校(旧広島県立広島第二高等女学校)、広島県広島工業高等学校、広島市工業高等学校を統合し、総合制・男女共学制による広島県広島皆実高等学校が発足。
- 1953年 工業課程を広島県広島工業高等学校として分離。(本校と同校の敷地が隣接しているのはこの当時の経緯による。)
- 1956年 普通科に総合選抜制度導入。国泰寺高校・観音高校・基町高校・舟入高校との一括募集となり、「広島市内五校」(後に井口高校が加わり「広島市内六校」)と称される。
- 1966年 衛生看護科を設置。
- 1968年 校名を現在の広島県立広島皆実高等学校に改称
- 1969年 衛生看護科に専攻科を設置。
- 1991年 総合選抜制度下の「広島市内六校」を東西学校群に分割。本校は国泰寺高校・基町高校とともに東部グループを組む。
- 1992年 体育科を設置。
- 1998年 総合選抜制度全廃。普通科も単独選抜に移行。
[編集] 学科
- 普通科
- 衛生看護科(専攻科との5ヵ年一貫教育)
- 体育科
[編集] 教育方針
[編集] 建学の精神
[編集] 校訓
勤勉、強行、責任、自由
[編集] 教育方針
教育基本法その他教育関係法令に基づき、心身ともに健康にして、高い知性・豊かな情操・強い意志をもった青年の育成をはかる。
[編集] 学校行事
- 新入生歓迎遠足
- 皆実祭
- 体育科野外活動
- 夏季学習合宿
- 運動会
- 修学旅行(北海道)
- 合唱祭
- 韓国親善校との国際交流
- マラソン大会
[編集] 部活動
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[編集] 著名人
- 吉田拓郎 - シンガーソングライター
- 奥田民生 - シンガーソングライター
- 為末大 - 陸上選手(400mハードル日本記録保持者・エドモントン、ヘルシンキ両世界選手権銅メダリスト)
- 久保田智子 - 東京放送(TBS)アナウンサー
- 木村孝洋 - 元サンフレッチェ広島・TEPCOマリーゼ監督、現京都サンガF.C.アカデミーセンター長
- 下田崇 - サッカー選手(サンフレッチェ広島)
- 亀井郁夫 - 政治家 亀井静香の兄
- 吉弘充志 - サッカー選手(サンフレッチェ広島)
- 森重真人 - サッカー選手(大分トリニータ)
- 柴村直弥 - サッカー選手(アビスパ福岡)
- 秦賢二 - サッカー選手(水戸ホーリーホック)
- 山根巌 - サッカー選手(柏レイソル)
- 梅田直哉 - サッカー選手(湘南ベルマーレ)
- 大野允子 - 児童文学作家
- 松本裕見子-ローカルタレント