竹 (駆逐艦)
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竹 (たけ) は、大日本帝国海軍の駆逐艦である。松型(丁型)の2番艦。日本海軍の艦名としては、2代目である。横須賀工廠で建造。1943年10月15日起工。1944年6月16日竣工した。
[編集] 戦歴
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入。7月15日「松」、「竹」、「梅」、「桃」で第四十三駆逐隊が編成される。7月14日、重巡洋艦「摩耶」他と沖縄方面への輸送作戦で門司を出港。21日、呉に帰投。8月20日、第四十三駆逐隊は新編された第三十一戦隊に編入される。8月30日から10月29日までマニラと各地との間で船団護衛に従事した。この後「竹」は3度レイテ島オルモック湾への輸送作戦(多号作戦)に参加した。
11月9日、第3次多号作戦で駆逐艦「島風」、「初春」、「浜波」、「第46号駆潜艇」、「第30号掃海艇」と共に5隻の船団を護衛してマニラを出港。10日夜、先行した第4次多号作戦の部隊と合流、「竹」、「初春」は「長波」、「朝霜」、「若月」と交代で第4次部隊の護衛に変更となりマニラに帰投した。
11月24日、第5次多号作戦で「第6号輸送艦」、「第9号輸送艦」、「第10号輸送艦」と共にマニラを出港。25日米機動部隊が接近中との情報でマンドリケ島に避泊したがそこで空襲を受け「第6号輸送艦」、[第10号輸送艦」が沈没し「第9号輸送艦」も損傷、「竹」も至近弾と機銃掃射で損傷し戦死者15名を出した。レイテ島オルモック湾への突入を命じられるが「竹」は輸送艦と共にマニラへ引き返した。
応急修理後11月30日、第7次多号作戦で駆逐艦「桑」と共に「第9号輸送艦」、「第140号輸送艦」、「第159号輸送艦」を護衛してマニラを出港。12月2日、レイテ島オルモック湾に到着。12月3日そこで米駆逐艦「アレン・M・サムナー」、「クーパー」、「モール」と交戦。この戦闘で「竹」は魚雷2本を発射、内1本が「クーパー」に命中し「クーパー」は沈没した。しかし、「桑」は撃沈され「竹」も損傷した。これが日本駆逐艦が雷撃によって敵艦を撃沈した最後となった。
4日、マニラ帰投。終戦時には航行可能な状態で残存。1945年10月25日除籍。戦後は復員輸送に従事し、1947年7月16日イギリスに賠償艦として引き渡され解体された。