築土神社
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築土神社(つくどじんじゃ)は天慶3年(940年)6月、江戸の津久戸村(現・千代田区大手町付近)に平将門の首を祀り、津久戸大明神として崇められた。通称、「築土明神」。室町時代に太田道灌により九段坂上(現・千代田区北の丸公園付近)へ移転させられて以降は「田安明神」とも称され、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられた。戦災で焼失するまで、将門の首を納めたという桶が社宝として伝わっていた。その後、牛込(現・新宿区)等への移転を経て、現在は千代田区九段北1丁目に鎮座。
築土神社は武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。
江戸時代の文献によると、将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものも、かつては築土神社内に安置されていたといわれ、多くの将門所縁の社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。もっとも明治になると、皇国史観の影響で将門は相殿に格下げされ、代わってニニギの命(みこと)が主祭神となり現在に至る。
平成18年築土祭では、安政6年(1859)の神田明神以来、実に147年振りに神輿渡御行列の江戸城入りを果たしている。