篠ノ井市
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篠ノ井市(しののいし)は長野県の旧更級郡域北東部地区にあった市。最後の市長は、長野県議会議長を務めた柳沢勲(やなぎさわいさお)。
更級郡布施村→篠ノ井町時代から交通の要衝であり、国鉄(現・JR東日本)の篠ノ井線と信越本線(※=篠ノ井以南は現・しなの鉄道)が分岐し東京方面と名古屋・大阪方面に向う上で重要な地点だった。
1959年に誕生したが、1966年(昭和41年)10月16日に長野市・更級郡川中島町、更北村、信更村・上水内郡七二会村・埴科郡松代町・上高井郡若穂町と対等合併し長野市となったためわずか7年で消滅した。
現在は長野市篠ノ井地区となっている。
[編集] 沿革
- 1872年(明治5年)【この年】更級郡五明本郷村、瀬原田村、柳沢新田村が合併し布施五明村となる。同郡有旅村、入有旅村と中山新田村を編入。
- 1873年(明治6年)2月 更級郡山布施村、山村山村と青池村を編入。
- 1875年(明治8年)【この年】更級郡二柳村、御幣川村、横田村、会村が合併し正和村となる。12月には同郡東福寺村、中沢村を編入。
- 1876年(明治9年)5月 更級郡有旅村の浅野区と桜井区が分村。前者は氷ノ田村(のち信田村→信更村、現・長野市)、後者は山平林村(のち更府村→信更村、現・長野市)へ。6月には同郡小森村の飛地が本鹿谷村(のち信級村、現・上水内郡信州新町)へ。
- 1879年(明治12年)【この年】更級郡制施行により布施五明村、布施高田村、中沢村、石川村、岡田村、小松原村、東福寺村、小森村、山布施村、有旅村、塩崎村が発足。
- 1881年(明治14年)3月12日 更級郡中沢村、二柳村、御幣川村、横田村、会村に分立。
- 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行。
- 更級郡布施五明村、布施高田村が合併し布施村が発足。
- 更級郡御幣川村、横田村と会村を編入し発足。
- 更級郡二柳村、石川村が合併し川柳村が発足。
- 更級郡岡田村、小松原村を編入し発足。
- 更級郡東福寺村、小森村を編入し発足。
- 更級郡山布施村、有旅村が合併し信里村が発足。
- 更級郡塩崎村、合併を伴わずに発足。
- 1890年(明治23年)5月17日 更級郡岡田村、共和村と村名変更。5月24日には同郡御幣川村、栄村と村名変更。
- 1914年(大正3年)4月1日 更級郡布施村、栄村を編入。4月21日には町制を施行し更級郡篠ノ井町が発足。
- 1950年(昭和25年)7月1日 更級郡篠ノ井町、川柳村と東福寺村を編入。
- 1951年(昭和26年)10月1日 旧東福寺村の道島・筏道下区が分町し埴科郡松代町(現・長野市)へ。
- 1954年(昭和29年)7月1日 更級郡篠ノ井町、共和村を編入。
- 1957年(昭和32年)4月1日 旧共和村の小松原地籍の一部が分町し川中島町(現・長野市)へ。8月1日には埴科郡松代町の旧更級郡西寺尾村の大字西寺尾を編入。
- 1959年(昭和34年)5月1日 更級郡篠ノ井町、塩崎村を編入し市制施行。篠ノ井市が発足。(長野県では16番目)
- 1966年(昭和41年)10月16日 8市町村の対等合併により長野市が発足し消滅。
[編集] 隣接していた自治体
(※=いずれも合併前日の1966年(昭和41年)10月15日現在。更埴市以外は現・長野市、更埴市は現・千曲市。)
- 長野市
- 更埴市
- 更級郡:川中島町・信更村
- 埴科郡:松代町
- 上水内郡:七二会村