篠原の戦い
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篠原の戦い | |
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戦争: 治承・寿永の乱 | |
年月日: 1183年(寿永2)5月ごろ | |
場所: 加賀国の篠原(現加賀市) | |
結果: 源義仲軍の圧勝 | |
交戦勢力 | |
源氏 | 平氏 |
指揮官 | |
源義仲 | 平宗盛 |
戦力 | |
不明 | 不明 |
損害 | |
不明 | 不明 |
篠原の戦い(しのはらのたたかい)は、1183年(寿永2)5月ごろに、加賀国の篠原(現加賀市)において源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
[編集] 経過
倶利伽羅峠の戦いでの敗北により、平宗盛が率いる平氏軍は京方面へ北陸道を上っていったが、源義仲軍はすぐに追撃を始め、加賀篠原の地で平氏軍を捉えた。敗走中に追撃を受けた平氏軍はほとんど交戦能力を失い、義仲軍が大勝した。この戦いにおいて、平氏軍の老将斎藤実盛は自陣が総崩れとなる中、殿(最後尾)の守備を引き受け、奮戦の末に壮絶な最期を遂げた。
この後、義仲は入京を果たし、平氏は京を離れ西方へと逃れていった。
[編集] 関連項目
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