紀古佐美
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紀古佐美(きのこさみ、730年代前半 - 延暦16年4月4日(797年))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族・官僚。父は紀宿奈麻呂。
764年(天平宝字8年)従五位下に叙されて以来、丹後守、兵部少輔、伊勢介右少弁を歴任。780年(宝亀11年)に征東副使に任じられ、征東大使藤原継縄とともに東国へ赴いた。781年(宝亀12年)陸奥守に任じられ、以後左兵衛督、左中弁、式部大輔、中衛中将などを歴任して、785年(延暦4年)には参議に叙任された。その後788年(延暦7年)征東大将軍に任じられ、789年(延暦8年)には蝦夷の征討に赴くが、族長アテルイの活躍で失敗に終わる。帰京後、多くの兵を消費した罪により処断されることとなったが、罪を免じられ以後中納言などを経て正三位大納言兼皇太子傅に至った。平安京遷都に際して、藤原小黒麻呂とともに山背国葛野郡を偵察している。
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