維新体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
維新体制(いしんたいせい、韓国語:유신 체제/維新 體制)とは、韓国第四共和国憲法の下、朴正熙が非常事態をちらつかせながら独裁を敷いた体制を指す。夜間外出禁止令など、国民生活に直接影響を及ぼす制約も少なくなかった。
もともと朴正熙政権の目標は、朝鮮半島の資本主義による統一にあった。しかし、急激な民族資本の育成は、労働者層に負担を強いるものであり、1971年実施の大統領選挙では野党の金大中候補に90万票差まで詰め寄られた。
朴正熙の一存による開発独裁は、側近の離反をも招いた。アメリカのカーター政権からも、「韓国の人権状況に憂慮」を表明された。岩波新書の『韓国からの通信』は、この時代の韓国を告発する内容だった。維新体制は朴正熙の暗殺までを指すが、独裁の終焉は1987年を待たなければならなかった。