ジミー・カーター
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アメリカ合衆国39代大統領
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任期: | 1977年1月20日 – 1981年1月20日 |
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副大統領: | ウォルター・モンデール |
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出生日: | 1924年10月1日 |
生地: | ジョージア州プレーンズ |
政党: | 民主党 |
配偶: | エレノア・ロザリン・スミス |
サイン: |
ジェームス・アール・カーター・ジュニア (“Jimmy”James Earl Carter, Jr., 1924年10月1日 - )は、第39代アメリカ合衆国大統領。2002年 ノーベル平和賞受賞。血液型はA型。
目次 |
[編集] 生い立ち
カーターは、ジョージア州プレーンズの町で生まれた病院生まれの初の大統領。アーチェリーの近くで成長した。ジョージアサウスウェスタン大学およびジョージア工科大学に入学し、1946年にアメリカ海軍兵学校から理学士号を受け取った。同年ロザリン・スミスと結婚。彼は大西洋および太平洋の艦隊で潜水艦に勤務し、その後ハイマン・リッコーバー提督によってアメリカ海軍の原子力潜水艦プログラムに選ばれた。1953年の父親の死に際し海軍を退役しピーナッツ栽培農家になった。牧師でもある。長らく南部バプテスト連盟系列の教会の信徒だったが、南部バプテストが神学的にも政治的にも保守化を強めたことから脱退。現在は南部バプテスト系分派である“コーペラティブ・バプテスト・フェローシップ”(CBF)に籍を置く。
[編集] 政治経歴
[編集] 地方政治
1960年代から生まれ故郷のジョージア州の州議会議員を2期務めた後、州知事に立候補し当選。1971年から1975年までジョージア州の知事を務めた。
[編集] 1976年の大統領選挙
1976年の大統領選挙に民主党候補として出馬し、最初は「ジミーって誰のこと?」と揶揄される程知名度が低かったが、ウォーターゲート事件により疲弊した政治の刷新を求めるアメリカ国民に巧みにアピールしたカーターは、一般投票の50.1%を獲得し勝利した。1944年に3期目を務めたフランクリン・デラノ・ルーズベルト以来2人目の、一般投票で勝利した民主党の大統領候補であった。
[編集] 大統領職
[編集] 国内政策
就任後に施行したいくつかの経済政策の失敗と、1979年のイラン革命に前後した石油危機などから、カーター政権中は高インフレと不況が国内を覆うことになった。任期中に外交において様々な問題が降りかかったこともあり、これらの国内問題を解決することはできなかった。
[編集] ディレギュレーション
当時パンアメリカン航空やトランス・ワールド航空、ノースウエスト航空などが国際線の殆どと一部の国内幹線(国際線と接続する国内線が中心)を占め、ユナイテッド航空やデルタ航空、イースタン航空などが国内線と近距離国際線を担当するという棲み分けがなされていたため、運賃の高止まりが続いていたアメリカの航空事情を変えることを目的に、航空会社設立の自由化と、国内路線の開設、料金設定の自由化などを盛り込んだ航空自由化政策「ディレギュレーション」政策を導入した。この政策の導入が、今日のアメリカ国内の大手航空会社の衰退と、サウスウエスト航空やジェットブルー航空などの格安航空会社の勃興を生むきっかけとなったと言われている。
[編集] 外交政策
冷戦のさなか「人権外交」を標榜し、中東において長年対立していたエジプトとイスラエルの間の和平協定・キャンプデービッド合意を締結させた他、パナマ運河のパナマへの返還などを実現させた。また、ニクソン政権時代から推進されてきたデタント路線を、SALT IIの締結などでさらに推し進めた。
しかし、CIAの規模削減による情報収集能力の低下や、急速な軍縮を進めたことによる軍事プレゼンスの低下などがきっかけになり、イラン革命やその後のテヘランのアメリカ大使館占拠、アフガニスタン侵攻 (1979)を許したことなどから、共和党などから、「弱腰外交の推進者」とたたかれることになった。
1979年には、反対が強い中中華民国と断交し、共産主義国家である中華人民共和国を訪問し国交樹立した。
[編集] 内閣
職名 | 氏名 | 任期 |
大統領 | ジミー・カーター | 1977 - 1981 |
副大統領 | ウォルター・F・モンデール | 1977 - 1981 |
国務長官 | キュロス・ヴァンス | 1977 - 1980 |
エドマンド・マスキー | 1980 - 1981 | |
財務長官 | マイケル・ブルーメンソール | 1977 - 1979 |
ウィリアム・ミラー | 1979 - 1981 | |
国防長官 | ハロルド・ブラウン | 1977 - 1981 |
司法長官 | グリフィン・ベル | 1977 - 1979 |
ベンジャミン・R・シヴィレッティ | 1979 - 1981 | |
内務長官 | セシル・D・アンドルス | 1977 - 1981 |
商務長官 | ジュアニータ・M・クレップス | 1977 - 1979 |
フィリップ・M・クルズニック | 1979 - 1981 | |
労働長官 | レイ・マーシャル | 1977 - 1981 |
農務長官 | ロバート・バーグランド | 1977 - 1981 |
保健教育福祉長官 | ジョセフ・A・カリファーノ | 1977 - 1979 |
保健社会福祉長官 | パトリシア・R・ハリス | 1979 - 1981 |
教育長官 | シャーリー・M・ハフステッドラー | 1979 - 1981 |
都市住宅開発長官 | パトリシア・R・ハリス | 1977 - 1979 |
ムーン・ランドリウ | 1979 - 1981 | |
運輸長官 | ブロック・アダムズ | 1977 - 1979 |
ニール・E・ゴールドシュミット | 1979 - 1981 | |
エネルギー長官 | ジェームズ・R・シュレージンガー | 1977 - 1979 |
チャールズ・W・ダンカン | 1979 - 1981 |
[編集] 大統領職後
[編集] 外交への貢献
北朝鮮が核開発疑惑により国際社会から孤立し始めた1994年、カーターはアメリカ大統領経験者として初めて訪朝し、当時の金日成国家主席と会談した。この席でカーターは韓国大統領金泳三との南北首脳会談実施の提案をし、金日成の同意を得る。しかし、直後に金日成が急死し実現には至らなかった。このとき会談が実現していれば、朝鮮半島の南北関係、および北朝鮮と国際社会との関係は、今日のそれらとは異なるものになっていたかもしれない。
またカーターは、2002年5月にキューバを訪れフィデル・カストロに会った。1959年の革命以来初めてキューバを訪問したアメリカ大統領職経験者となった。
大統領任期中は、「人権外交」を標榜しながら大した果実を得られず、またイラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻を許したが、大統領職を退いてから上述のような世界を驚かせる外交手腕を見せた事から、「史上最強の"元"大統領」、「最初から"元大統領"ならよかったのに」と、賞賛と半ば皮肉をこめてマスコミに呼ばれていた。
[編集] USSジミー・カーター
潜水艦の乗組員として勤務した経験のあるただ一人の大統領として、海軍は潜水艦に彼の名を命名した。ジミー・カーター(USS Jimmy Carter, SSN-23)は、命名時にまだ生存している人名を付けられた少数のアメリカ海軍艦船のうちの一隻として、1998年4月27日に命名された。
[編集] トピック
- カーターは1990年、梵鐘が縁で広島県甲奴郡甲奴町(現・三次市)に訪問、以後も交流が続いている。1994年には同町にジミー・カーター・シビックセンターが落成、カーターも再訪した。詳しくは1を参照。
- カーターは1977年3月16日にマサチューセッツ州クリントンで行われたタウンミーティングにおいて、アメリカ大統領として初めてパレスチナ人国家建設を容認する発言をした。
- 2007年2月11日に授賞式が行われた「第49回グラミー賞」で、オーディオブック「Our Endangered Values:America's Moral Crisis」が最優秀朗読アルバム賞を受賞した。
- 任期中に「バイ・ドール法」という俗称の国家予算による研究成果を民間に権利帰属することを認める法律が策定されるなど,現在の産学連携状況の基礎を作り上げる元となった法律が成立した時期でもあった。
[編集] 関連項目
- モハンマド・レザー・パフラヴィー
- ルーホッラー・ホメイニー(アヤトラ・ホメイニ)
- レオニード・ブレジネフ
[編集] 外部リンク
- Carter Center
- Jimmy Carter Library and Museum
- Jimmy and Rosalynn Carter Partnership Foundation
- http://www.achievement.org/autodoc/page/car0int-1 Jimmy Carter Interview at Acheivement.org
- http://www.achievement.org/autodoc/page/car0pro-1 Jimmy Carter Profile at Acheivement.org
- http://www.achievement.org/autodoc/page/car0bio-1 Jimmy Carter Biography at Acheivement.org
- http://www.achievement.org/autodoc/page/car0gal-1 Jimmy Carter Photo Gallery at Acheivement.org
- Biography, via whitehouse.gov
- Biography via ourgeorgiahistory.com
- Biography, via geocities.com
- Navy Years, via submarinehistory.com
- Inaugural Address of Jimmy Carter via re-quest.net
- State of the Union Addresses: 1978, 1979, 1980, 1981 (written message) at UCSB's American Presidency Project
- Audio recordings of Carter's speeches, via Michigan State University
- Nobel lecture, Oslo, Norway (10 December 2002)
- About the malaise speech, via PBS
- The malaise speech text, via PBS
- The 1980 October Surprise
- "The U.S. President was here" — about Carterpuri, a village in Haryana, India named after President Carter
- Instruments of Statecraft: U.S. Guerilla Warfare, Counterinsurgency, and Counterterrorism, 1940-1990 Chap. 3 The Carter Years
- Carter's hand written UFO sighting report of 1969
- Carter's church and Sunday school teaching schedule
- More information about the "killer rabbit" incident
- プロジェクト・グーテンベルクにおける Works by Jimmy Carter
- Jimmy Carter's thoughts on Earth Day 2006
- カーター ジミー:作家別作品リスト(青空文庫)
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