羽島山昌乃武
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羽島山昌乃武(はじまやま まさのぶ、本名 山内昌乃武、1922年4月23日 - )は、大相撲の元出羽海部屋の力士。岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身。身長176cm、体重120kg。最高位は西関脇。
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[編集] 来歴
昭和14年(1939年)5月場所、出羽海部屋から初土俵。昭和20年(1945年)6月場所で新入幕を果たす。
昭和24年(1949年)5月場所には13勝2敗の好成績で同率優勝であったが、優勝決定戦に敗れる。敢闘賞を獲得する。
腕力が強く、腰が重い事から将来の大関と期待されていたが、両膝関節の負傷により、思うような活躍ができなかった。特に左膝の状態は深刻で、自転車のチューブを使って常に固定しなければならなかった。
昭和34年(1959年)5月場所を最後に引退。引退後は年寄松ヶ根を襲名。昭和62年(1987年)4月停年退職。
[編集] 成績
- 幕内成績: 307勝315敗69休
- 幕内在位: 48場所
[編集] 三賞・金星
- 敢闘賞: 1回
- 金星: 5個
[編集] 関連項目
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