能見正比古
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能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 1981年10月30日)は、日本の文筆家で、人の血液型と気質(きしつ)とを統計的に関係付ける「血液型人間学」の提唱者として知られる。1925(大正14)年石川県金沢市に生まれ、東京大学工学部を卒業した後、同·法学部在学中に放送作家としての活動を始め、出版社勤務を経て独立した。
血液型と気質との因果関係の研究で知られた古川竹二と、その生徒であった姉·幽香里の影響を受け、自ら血液型と気質についての研究を始め、血液型人間学としてまとめ上げた。血液型人間学を一般大衆に広めた張本人である。また、彼は『週刊サンケイ』(現・SPA!)編集部の協力により著名人の血液型調査を行なったことでも知られる。しかし、能見正比古の研究も、研究としての大系は全くなしておらず、能身の研究に実証性がないことが現在では証明されている。
彼の死後、息子の俊賢によって彼の研究が引き継がれた。
能見本人の血液型はB型で、そのためか著書中におけるB型の性格・行動パターンには能見本人の特性が反映されていると思われ、主観的である。
能見親子は、血液型人間学を世間一般に広め、大衆に認知されると共に有象無象の派生論が現れ、血液型人間学を扱った理論は数多く出回る状況となった。 そのため現在はそれぞれが自己満足のために、受け入れやすい思想だけを取り入れて用いられる人間学へ変貌してしまった感が否めず、ある意味、深刻な社会問題にも発展している。
実証性が無く、血液型ブームは一時期去ったが、マスコミによって再びステレオタイプを対象に復活した。
少年期よりの相撲好きで、姉とともにひいき力士を決め(姉は磐石熊太郎、彼は綾若真生だったという)ラジオで応援していた。それが影響して、印刷会社勤務時代に労組結成の中心人物となったとき、会社側が相撲部をつくり、土俵開きに春日野部屋の力士たちを呼んだことで、態度を軟化させたと本人がのちに書いている。1970年代から『相撲』誌の常連のライターとなり、場所ごとの時評、戯評、過去の相撲史にかかわる史評、力士の成長物語「おーす、金星」などの小説と、多彩な分野で活躍し、当時の読者から好評をもって迎えられた。
1981年に講演中、壇上で倒れ急死した。享年56。
[編集] 参考文献
- 前川輝光『血液型人間学―運命との対話』 ISBN 4879841951
- 松田薫『「血液型と性格」の社会史―血液型人類学の起源と展開』 ISBN 4309241247/ISBN 430924145X
- 白佐俊憲・井口拓自『血液型性格研究入門―血液型と性格は関係ないと言えるか』 ISBN 4761005076
[編集] 外部リンク
- 進化論と創造論~科学と疑似科学の違い~
- NPO 血液型人間科学研究センター
- Dr. Peter D'adamo
- 遺伝学からみた血液型性格判断
- 血液型-性格関連説について
- 血液型性格判断に対する反論
- BLOOD FACTORY
- 進化論と創造論~科学と疑似科学の違い~
- 血液型性格判断資料集
- 能見正比古「血液型」シリーズを推計学で検証すれば?(現在は消えているページのキャッシュ)
- オープンディレクトリー:科学: オルタナティブ科学: 血液型性格判断
- 血液型性格判断の謎
- 血液型性格判断をやめよう(広島修道大学人文学部助教授 中西大輔氏のページ。血液型性格判断の持つ問題点や差別性が心理学者の立場から詳説されている)
- 「ブラッドタイプ」(「血液型で性格が変わらない」ことを証明するストーリーの小説)
- 究極の血液型心理検査(じつは判断結果はランダム表示されるだけのものだが、常時9割前後の人々が「当たっている」と回答している。バーナム効果実証サイト)
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