船田享二
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船田享二(ふなだ きょうじ、明治31年(1898年)1月13日 - 昭和45年(1970年)3月14日)は、昭和期のローマ法学者、作新学院院長、衆議院議員、国務大臣。「船田三兄弟」の次兄。夫人の船田文子は主婦連副会長。藤枝家の養子となった藤枝泉介は弟。
[編集] 来歴・人物
明治31年(1898年)1月13日、船田兵吾の次男として、栃木県宇都宮市に生まれる。大正10年(1921年)東京帝国大学法学部英法科を卒業する。大正15年(1926年)京城帝国大学助教授、昭和3年(1928年)に同大教授となり、ローマ法を担当する。昭和18年(1943年)法学博士号。戦後、公職追放中の兄、船田中の代理として地盤を引き継ぎ、昭和21年(1946年)栃木1区(当時)から第22回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後、3回当選。昭和23年(1948年)芦田均内閣の行政調査部総裁兼賠償庁長官に就任。兄の追放解除を受けて、政界を引退し学界に戻る。以後は、東京大学講師や作新学院院長を務めた。著書に「ローマ法入門」「羅馬法」(全5巻、昭和45年日本学士院恩賜賞受賞)「法思想史」「法律思想史」など。
昭和45年(1970年)3月14日、72歳で死去。