宇都宮市
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宇都宮市(うつのみやし)は、関東地方の北部、栃木県の中部に位置する市で、同県の県庁所在地。1996年4月1日より、北関東で唯一中核市に指定されている。
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[編集] 概略
2007年3月31日、上河内町および河内町を合併し、人口約51万人となった。本市を中心市とする宇都宮都市圏(都市雇用圏-2000年)の人口は約89万人。戦後、市の東部に大規模な内陸型工業団地が開発され、1984年には「テクノポリス」に関東地方で唯一地域指定されるなど工業都市として発展している。工業製品出荷額・年間商品販売額ともに県内第1位である。
当地は、古代に毛野国に属し、律令制後には東山道、鎌倉時代には鎌倉街道の中道(なかつみち)が通っていた。室町時代には、現在の本市中心部にあたる旧下野国河内郡池辺郷に所在する二荒山神社が門前町を形成した。また、当神社の神主で日光山別当職も兼ねた宇都宮氏が居館(後の宇都宮城)を置き、当地を支配するとともに、当神社の別号が宇都宮の語源となったとされる。江戸時代には宇都宮藩の城下町となって現在に至る都市基盤が整備され、また、日光街道・奥州街道が分岐する地にある宿場町・馬場として、交通の要衝としても盛えた。
戊辰戦争や第二次世界大戦などの騒乱を経て歴史的遺構は破壊されたが、現在では、宇都宮城、松が峰教会、清巌寺鉄塔婆などの歴史遺産の保全活動にも手が尽くされ、宇都宮城址公園が日本の歴史公園100選に選定された。
本市西部で採掘される「大谷石」は、帝国ホテル建設に使われるなど、関東各地の建造物の建材として汎用されている。また、近年本市は「餃子の街」として有名となり、観光客数が増加している。他にもカクテルやジャズなどを活用した町興しも進めている。
なお、生まれも育ちも宇都宮である生粋の宇都宮市民を宮っ子というなど、「宮」の1字で宇都宮を示すことが多く、本市を表す記号として度々用いられる。
[編集] 地理
栃木県のほぼ中部、関東平野の北端に位置する。首都東京から約105km北。南部は平坦な土地が広がり、東部をかつて関東の暴れ川と呼ばれた鬼怒川、中央部を鬼怒川支流の一つ田川、西部を姿川が流れる。また、中心市街地には釜川、釜川と姿川の間には灌漑用水路「新川」が流れる。
土地は鬼怒川が流れる市東南部地域が最も低く、北西部に向けて徐々に高くなっており、その先には古賀志山・多気山・鞍掛山など小高い山が連なっている。
宇都宮市街地は、この北西部山系から連なる水道山、八幡山、二荒山(明神山)のちょうど終端に位置する。背に北部山系を配し、平地開口部には田川等の水系を配す、典型的な「天然の要害」であり、この「地の利」を巧に取り込んだ宇都宮城の城下町から発展を続けている。
内陸部に位置しているため、気候は内陸性気候が見られる。その為、冬は厳しく冷え込み、-5℃以下になることも年に数回ある。
また、夏季において全国的に見ても特に雷の多い地域であり、宇都宮市は別名「雷都(らいと)」とも呼ばれている。
[編集] 市勢
- 面積:312.16km²
- 人口:459,210人
- 男性:229,599人
- 女性:229,611人
- 世帯数:185,736世帯
- 人口密度:1,471.07人/km²
(2006年9月1日推計)
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
- ナムコ・ナンジャタウン・池袋餃子スタジアム(東京都池袋にあるテーマパーク。架空の都市)
- 餃子姉妹都市提携(宇都宮市民には特典がある)
[編集] 海外
- マヌカウ市(ニュージーランド)
- チチハル市(中華人民共和国 黒龍江省)
- オルレアン市(フランス ロワレ県)
- タルサ市(アメリカ合衆国 オクラホマ州)
- ピエトラサンタ市(イタリア トスカーナ州 ルッカ県)
現在、これらの姉妹・友好都市とは交換留学生など国際交流事業が とてもさかんに行われている。 これらの事業には主に宇都宮市国際交流協会が関わっている。
[編集] 歴史
宇都宮は、蝦夷平定のためこの地に足を踏み入れた豊城入彦命が開祖といわれており、当時池辺郷といったこの地に命を神として祀った宇都宮二荒山神社(社伝によると西暦353年創祀)の門前町として、また二荒山神社の神官としてこの地に赴任した摂関家藤原北家道兼流・宇都宮氏の直轄地として栄えた。
「宇都宮」という都市名と、嫡流「宇都宮氏」の名称は、延喜式神名帳にある下野国唯一の一宮名神大社である「二荒山神社」の別号「宇津宮大明神(宇都宮大明神)」に由来するというのが一般的だが、他にも「遷しの宮」、「討つの宮」など諸説がある。宇都宮二荒山神社はその武徳が尊ばれ、かつてこの地を訪れた藤原秀郷(藤原北家魚名流)や武家源氏の祖である源頼義・八幡太郎源義家父子(河内源氏)、源頼朝(河内源氏)、徳川家康(河内源氏義家流新田氏)等の名将らも戦勝祈願し、土地・金品等が寄進されたと言われる。
律令制度が整備されてからは、道路としての東山道、鎌倉時代には鎌倉街道の中道が通っていた。田原街道の田川橋梁は古来より鎌倉橋と呼ばれた。
その後、1598年に宇都宮に入封された蒲生秀行(12万石)が日野町や紺屋町を造成し、宇都宮氏の居館(中世宇都宮城)は近世宇都宮城へと継承された。さらに小山藩3万石から加増を受け15万5千石で宇都宮藩に入封された徳川家康の腹心である本多正純が城下町を含めた宇都宮城改築の大普請を行い、城下町・宇都宮の礎を築き、現代に受け継がれている。また、江戸時代には日光街道・奥州街道が通る宿場町・宇都宮宿としても繁栄した(両街道は宇都宮宿で分岐する)。
歴史的構造物は時代が生まれ変わるごとに破壊と再生の道を辿って来たが、宇都宮二荒山神社を礎として、様々な文化を受け入れる温故知新の社会構造は、脈々と現代に受け継がれている。
[編集] 平安時代から室町時代まで
宇都宮二荒山神社の門前町であり、二荒山神社の神官として、また下野国の国司として赴任した藤原道兼流で嫡流宇都宮氏(この地の豪族、下毛野氏あるいは中原氏の流れを汲むとも言われる)の居館(宇都宮城)が置かれた。宇都宮氏は、この地に在る間も京都との交流を続け、この地に中央文化の息吹を吹き込み続け、鎌倉時代には宇都宮歌壇を築いて小倉百人一首の成り立ちに関わるなど、文化教養の養生において名跡を残した。又、源頼朝をして「東国一の弓取り」と言わしめた宇都宮朝綱、元寇の際に討伐軍十万の総大将として九州へ赴いた宇都宮貞綱など、宇都宮氏は武門としても歴史にその名を残している。宇都宮氏は国司である傍ら、鎌倉時代には鎌倉幕府の評定衆や引付衆として、また室町時代には室町幕府の足利尊氏の意向によって下野国守護職等(上野国・越後国などの守護職も)を兼務し中央政府を支えるとともに、鎌倉府(足利氏)から関東八屋形に列せられ、鎌倉府、関東管領(上杉氏)とともに関東の支配体制の一翼を担い、主に毛野川流域一体の治安維持に務めた。毛野川下流にあたる下総国~常陸国(現在の茨城県南部)を治めた常陸国司の小田氏は宇都宮氏の庶流である。室町時代後期になると後北条氏が小田原から南関東に台頭し、その勢力は小山にまで迫ったが、宇都宮氏は常陸国守護大名の佐竹氏らとともにこれを牽制したが宇都宮も度々その戦乱に巻き込まれた。周辺の城郭の様相が度重なる当時の戦闘の様子を窺わせる。
宇都宮貞綱は正和元年(1312年)母の十三回忌の供養の折に鉄製塔婆を鋳造し、菩提寺「東勝寺」(宇都宮氏の改易と伴に廃寺)に奉納した。この鉄製塔婆は東勝寺廃寺の後、宇都宮氏の郎党として活躍した紀清両党の清原氏(芳賀氏)が創建した清巌寺に移され、現在日本最古かつ最大の鉄製塔婆として国の重要文化財に指定されている。
[編集] 戦国時代
戦国時代、国司・宇都宮氏は台頭する武士団を牽制して関東一帯の治安維持に寄与し、結果的に戦国大名と評される勢力を持っていた。将軍家足利氏の勢力が弱まり小田原の後北条氏が台頭して来ると、宇都宮氏は常陸国の佐竹氏とともに後北条氏を牽制する一大勢力となった。中央政府から派遣された豊臣秀吉が小田原を攻めた際にはこれに応じ北条氏を破った。その後秀吉を小田原城から宇都宮城に迎え、秀吉は宇都宮の地で東北・関東の支配構造を決定した(宇都宮仕置)。宇都宮国綱は秀吉から羽柴姓を授かるなど宇都宮家と秀吉の関係は良好で、朝鮮攻めの際にも国綱は秀吉に追従した。しかし1597年、太閤検地の際に秀吉の姉婿であった浅野長政により石高詐称の嫌疑をかけられ改易された。背景には、旧来の勢力を一掃し、新たに功績を成した者に褒美として与える領地を確保する方針があったとされる。
宇都宮氏の後に入封されたのは改易に関わった浅野長政であったが、その後は蒲生氏や奥平氏などが入れ替わり支配した。
[編集] 江戸時代
江戸時代になると徳川家康の廟所となった日光へ向かう日光街道と奥州白河へ向かう奥州街道が整備され、二つの街道の分岐点(追分)となる宇都宮宿の宿場町ともなった。
江戸時代初期の1622年には、徳川家康の腹心であった本多正純が宇都宮藩15万5千石で入城して城下町を含め中世宇都宮城を大改築し、周囲14km、高い土塁(一部石垣)と濠、土塁上には8つの櫓を備える近世平城(輪郭梯郭複合式平城)の縄張りとし、関東七大名城と呼ばれるほどの大城郭へと生まれ変わり、現在の市街地の基本構造を築いた。しかし正純はその後宇都宮城無断改修を咎められて(宇都宮城釣天井事件は架空の事件)改易され、その後は藩主が奥平氏、松平氏や戸田氏、本多氏、阿部氏など目まぐるしく交代した。
この間も、大名の参勤交代や日光東照宮の造営などによる往来も多く、重要拠点として「小江戸」と呼ばれる程に盛えた。
[編集] 幕末
江戸時代後期は戸田氏が入封し幕末まで宇都宮を治めた。1868年の戊辰戦争の際には、藩主戸田忠恕が新政府方に就くも、大鳥圭介・土方歳三ら率いる旧幕府軍の侵攻に退散を余儀なくされた。宇都宮城に入った旧幕府軍と巻き返した新政府軍は、宇都宮市六道の辻~宇都宮城・二荒山神社付近で激戦を繰り広げ、物量に長じた新政府軍が優位となり、宇都宮の地を旧幕府軍より奪還、旧幕府軍は明神山(二荒山)から日光方面に向け退却した。この折の戦火で、城下町を含む宇都宮城下の主たる建造物が焼失してしまった。(宇都宮城の戦い)
[編集] 明治維新から第二次大戦まで
- 1871年(明治4)8月29日([7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]):廃藩置県により宇都宮藩が廃止され、宇都宮県が設置される。
- 1871年(明治4)12月25日(旧暦11月14日):府県再編により下野国北半部を管轄する宇都宮県が改めて設置されて、引き続き県庁が置かれる。
- 1873年(明治6)6月:宇都宮県が廃止され、栃木県へ併合される。
- 1878年(明治11):郡区町村編制法が施行。
- 1879年(明治12)2月:栃木県師範学校付属予備学校が師範学校より分離され、栃木中学校創立。入学者数72名。
- 1879年(明治12)10月:栃木中学校、名称を栃木第一中学校に改称。
- 1884年(明治17)1月:県庁が栃木町から宇都宮町へ移転。
- 1885年(明治18)4月:栃木第一中学校、県庁の宇都宮移転に伴い宇都宮町に移転。
- 1885年(明治18)7月:日本鉄道東北本線(現JR宇都宮線)大宮駅~宇都宮間が開通し、宇都宮駅で日本初の駅弁が販売される。
- 1889年(明治22)4月:町制施行。
- 1890年(明治23)8月:日光線開通。
- 1893年(明治26)7月:栃木第一中学校、河内郡姿川村(現在の宇都宮市滝の原)に新築移転。生徒定員500名。
- 1896年(明治29)4月1日:市制施行。宇都宮市。
- 1899年(明治32)6月:宇都宮電灯会社が、町内に電力供給を開始する。
- 1901年(明治34)5月:栃木第一中学校、栃木県立宇都宮中学校に改称。
- 1906年(明治39)12月:市内に電話が開通。
- 1908年(明治41)11月:第十四師団が移駐(現在の一の沢町、作新学院付近)。
- 1911年(明治44)2月:市章制定。
- 1912年(明治45)4月:市庁舎が旭町に落成。
- 1916年(大正5)3月:上水道の給水が開始される。
- 1921年(大正10)4月:栃木県立宇都宮中学校、学級数20、生徒定員1,000名となる。
- 1922年(大正11)10月:宇都宮高等農林学校(現宇都宮大学農学部)創設。
- 1931年(昭和6)8月:東武鉄道宇都宮線開通。
- 1934年(昭和9)1月1日:河内郡姿川村鶴田の一部を編入。
- 1936年(昭和11)3月:県庁舎が火災で焼失。
- 1938年(昭和13)10月:新県庁舎落成。
- 1939年(昭和14)4月1日:河内郡城山村大字駒生の一部を編入。
- 1942年(昭和17)7月1日:河内郡平石村大字峰を編入。
- 1945年(昭和20)7月12日:宇都宮空襲により市街の大半が焼失。
[編集] 戦後
[編集] 昭和後期
- 1947年(昭和22)4月1日:栃木師範学校男子部附属中学校を宝木に、女子部を戸祭に設置。
- 1947年(昭和22)9月:人口10万人に到達。
- 1948年(昭和23)4月1日:栃木県立宇都宮中学校、新制高等学校となり宇都宮高等学校と改称。
- 1949年(昭和24)4月1日:河内郡豊郷村大曽並びに河内郡横川村大字平松の一部を編入。栃木師範学校附属中学校を戸祭に統合設置。
- 1949年(昭和24)5月31日:栃木師範学校附属中学校が宇都宮大学師範学校附属中学校に改称。
- 1950年(昭和25)3月:宇都宮競馬場完成。
- 1951年(昭和26)4月1日:宇都宮高等学校、栃木県立宇都宮高等学校と改称。宇都宮大学師範学校が宇都宮大学学芸学部と改称。
- 1951年~1955年:周辺の町村を編入合併する。
- 1951年(昭和26)6月1日:河内郡平石村大字上平出及び上越戸新田並びに河内郡豊郷村大字竹林及び大字今泉新田の一部を編入。
- 1952年(昭和27)4月1日:河内郡横川村大字江曽島の一部並びに河内郡姿川村大字西川田及び鶴田の一部を編入。
- 1952年(昭和27)6月1日:河内郡国本村大字戸祭及び宝木の一部を編入。
- 1953年(昭和28)6月1日:河内郡豊郷村大字竹林及び大字今泉新田の一部を編入。
- 1954年(昭和29)8月1日:河内郡平石村を編入。
- 1954年(昭和29)8月10日:芳賀郡清原村を編入。
- 1954年(昭和29)9月25日:河内郡横川村を編入。
- 1954年(昭和29)10月1日:河内郡瑞穂野村を編入。
- 1954年(昭和29)11月1日:河内郡豊郷村、国本村、城山村、富屋村、並びに篠井村の一部(分村)を編入。
- 1955年(昭和30)4月1日:河内郡姿川村並びに雀宮町を編入、人口20万人に到達。
- 1957年(昭和32)4月1日:古賀志町の一部を鹿沼市へ編入。
- 1961年(昭和36)11月:宇都宮工業団地(平出工業団地)の分譲が開始される。
- 1963年(昭和38)4月1日:ラジオ栃木(栃木放送)開局。
- 1965年(昭和40)8月:下水道終末処理を開始(田川下水処理場)。
- 1966年(昭和41)4月1日:宇都宮大学学芸学部が宇都宮大学教育学部に改称。附属中学校・小学校も合わせて改称。
- 1970年(昭和45)4月:市花を制定。栃木県交響楽団が結成され、定期演奏会が始まる。
- 1972年(昭和47)4月:市旗を制定。
- 1972年(昭和47)8月:人口30万人に到達。
- 1972年(昭和47)11月:東北自動車道宇都宮IC開通。
- 1974年(昭和49)4月:清原工業団地の分譲開始。
- 1975年(昭和50)6月:宇都宮中央卸売市場開設。
- 1975年(昭和50)8月:第1回「ふるさと宮まつり」開催。
- 1976年(昭和51):市森林公園開業。
- 1980年(昭和55)4月:市民憲章を制定。市立体育館、市文化会館、市立サッカ-場が開設される。
- 1980年(昭和55)10月:「栃の葉国体」開催、UHF電波中継塔(宇都宮タワー)が完成。
- 1981年(昭和56)7月:市立図書館開館。
- 1982年(昭和57)2月:マヌカウ市(ニュージーランド)と姉妹都市提携。
- 1982年(昭和57)6月23日:東北新幹線宇都宮駅開業。
- 1984年(昭和59)5月:テクノポリス(技術集積都市)に指定される。
- 1984年(昭和59)8月:清原工業団地内で「'84とちぎ博」開催。
- 1984年(昭和59)9月:チチハル市(中華人民共和国黒竜江省)と友好都市提携。
- 1984年(昭和59)10月:人口40万人に到達。
- 1986年(昭和61)4月:市制90周年。市木を制定。
- 1986年(昭和61)10月:現在の市庁舎が開庁。
- 1988年(昭和63)7月:清原中央公園内に宇都宮清原球場と清原体育館が建設される。
[編集] 平成期
- 1989年(平成1)4月:帝京大学理工学部、作新学院大学、宇都宮文星短期大学(現・文星芸術大学)の3校が開設される。
- 1989年(平成1)5月 オルレアン市(フランス)と姉妹都市提携。
- 1990年(平成2):東北本線の上野駅~黒磯駅間に宇都宮線の愛称が付される。
- 1990年(平成2)8月:世界選手権自転車競技大会ロードレース競技を開催(日光宇都宮道路及び市森林公園周辺)。
- 1992年(平成4)6月:タルサ市(アメリカ合衆国)と姉妹都市提携。
- 1993年(平成5):専用球技場 栃木県グリーンスタジアムが完成。
- 1993年(平成5)8月:全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の開催。
- 1995年(平成7)8月:ピエトラサンタ市(イタリア)と文化友好都市提携。
- 1995年(平成7)10月:「第十回国民文化祭とちぎ95」開催。
- 1996年(平成8)2月:宇都宮ジュニアオーケストラ発足。
- 1996年(平成8)4月1日:市制100周年、中核市に指定される。
- 1996年(平成8)7月:平成記念子どものもり公園・冒険活動センターが開設される。
- 1996年(平成8)9月:市農林公園「ろまんちっく村」開設、UCIワールドカップ最終戦開催(アジアで唯一の開催)。
- 1996年(平成8)10月:宇都宮ジュニアオーケストラ第1回定期演奏会開催(宇都宮市文化会館)。
- 1996年(平成8):市外縁部を一周する宇都宮環状道路が全線開通。
- 1997年(平成9)3月:宇都宮美術館開館。
- 1998年(平成10)12月23日:宇都宮フィルハーモニー管弦楽団発足。
- 1999年(平成11)3月20日:宇都宮フィルハーモニー管弦楽団第1回定期演奏会開催(栃木県総合文化センター)。
- 1999年(平成11)9月:市役所本庁窓口業務の一部を19時まで延長。
- 2000年(平成12)7月:北関東自動車道栃木都賀JCT~宇都宮上三川IC間が開通。市総合運動公園予定地で全国都市緑化フェア「マロニエとちぎ緑花祭2000」開催。
- 2000年9月:宇都宮シンフォニーオーケストラ発足。
- 2001年(平成13)3月:クリーンパーク茂原が開設される。
- 2001年(平成13)8月:宇都宮市茂原健康交流センター「蝶寿コデランネ」が開設される。
- 2002年(平成14)6月:宇都宮シンフォニーオーケストラ第1回定期演奏会開催(宇都宮市文化会館)。
- 2003年(平成15)4月:栃木県立宇都宮高等学校が文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。宇都宮教育センター開設。
- 2003年(平成15)7月:宇都宮上三川IC周辺に商業流通団地「インターパーク宇都宮南」が町開き。
- 2006年(平成18)4月:宇都宮共和大学(旧那須大学)宇都宮シティキャンパスが開設。
- 2007年(平成19)3月:宇都宮城の一部が復元される。
- 2007年(平成19)3月:河内町、上河内町と編入合併される。
[編集] 経済
年間商品販売額(万円)(2004年)
- 253,973,084 (栃木県全体の46.41%=県内第1位)
小売業売場面積(m2)(2004年)
- 655,982 (栃木県全体の23.79%=県内第1位)
製造品出荷額(百万円)(2004年)
- 1,532,146 (栃木県全体の19.05%=県内第1位)
農業産出額(千万円)(2004年)
- 1,563 (栃木県全体の5.64%=県内第3位)
耕地面積(ha)(2004年)
- 8,800 (栃木県全体の6.79%=県内第2位)
[編集] 工業
内陸型の工業地域で、以下の工業団地・企業から成る。
- 宇都宮工業団地(平出工業団地)
- 瑞穂野工業団地
- トーホクなど
- インターパーク宇都宮南(インターパーク敷地の一部は、上三川町に跨っている)
上記の他、市内陽南には富士重工業宇都宮製作所がある。当事業所は中島飛行機宇都宮工場として戦時中に整備され、戦闘機生産拠点として旧日本陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」(四式戦)の生産ラインが置かれた。戦後は鉄道車両生産拠点(2002年3月末までに東武8000系、東武10000系、東武30000系、キハ22形、キハ40系、キハ58系(28形,58形)、キハ81系「はつかり」形、キハ82系、キハ181系、キハ183系、キハ185系、キハ85系、カシオペア用E26系客車、キハ2000系、キハ281系、キハ283系、キハ261系、HOT7000系、レールバス等、国内鉄道車両計10,299両を製造)・航空機部品生産拠点として展開してきたが、2002年末に鉄道車両生産から撤退し、航空宇宙部門にシフトし、航空機生産・風力発電機器生産を行っている。
また、市北部にはソニーのAV部門であるアイワの宇都宮工場(1960年開所、市内上戸祭)および宇都宮北工場(1975年開所、市内徳次郎町)があったが、現在はアイラインのテクノセンターとなっている。
市西部の大谷地区では、凝灰岩である大谷石の採掘が行われている。
- 伝統工芸品
-
- 大谷石細工、竹細工、ふくべ細工、和太鼓、竹釣り竿、琴、三味線、野洲てんまり、桐塑人形、挽物、曲物、黄鮒
[編集] 商業
繁華街は、二荒山神社と東武宇都宮駅の間にあるアーケード街「オリオン通り」を中心に形成されている。宇都宮駅と多少距離をおいた地域であり、駅前は比較的閑散としている。オリオン通りの西側には、レコード店や古着屋などが立ち並ぶ「ユニオン通り」があり、若年層を惹き付けている。
第二次大戦後、中心部(馬場通り~池上町付近)には6つの百貨店(上野、山崎、東武、西武、福田屋、十字屋)や丸井、緑屋など大型店が林立し、バブル経済期には中心市街地から1km程東方に位置するJR宇都宮駅前にもイトーヨーカドー系のロビンソンが開店し、全国有数のオーバーストア地区となった。
バブル経済が破綻した後、1994年5月1日の大型小売店舗法改正では大型店舗の規制要件が緩和され、福田屋は中心市街地(馬場通り二丁目)から市街地北部の準郊外(今泉町)に移転し、無料駐車場を備えた大規模ショッピングセンター「FKDショッピングプラザ宇都宮店」を開店し成功を収めた。一方、中心市街地では1997年に二荒山神社前のバンバ相生地区が再開発され、ファッションビルの宇都宮パルコが開店した。パルコは若年層を中心に客層を確保して一定の成功を収めるが、2000年には上野が倒産し、2002年に西武、2003年にロビンソンが撤退、2001年にAMS宇都宮(旧山崎、旧緑屋=江野町)跡に出店した109UTSUNOMIYAも2005年に閉店し、大型店の淘汰が進む中心市街地の空洞化の象徴と言われた。
一方、元々市郊外に立地しロードサイドショップの走りであったビバホームやジャスコ、ロヂャースなどの大型店の撤退を契機に、市は大規模店舗跡への出店要件を簡素化する構造改革特区「宇都宮にぎわい特区」を国に申請し、2003年11月20日には特区適用第一号のラパーク長崎屋を西武百貨店跡地に、またトライアル宇都宮店を旧長崎屋跡地に、さらに2005年4月8日には適用第二号のララスクエア宇都宮を旧ロビンソン跡地に誘致することに成功している。
現在、本庁管内(旧市内地域)にある大規模商業施設は、東武、パルコ、長崎屋、ララスクエア、FKD(今泉町)、トライアル、カルナショッピングセンター等に限られて来ているが、近年開発が進んでいる駅東地区や、郊外を走る宇都宮環状道路沿線にも大規模商業施設が拡大しており、FKD(中島町)、ベルモール(陽東六丁目)、ジョイフル本田(住所は河内郡上三川町)、アピタ(江曽島本町)等が開店し、競争はむしろ激化している。中でも市南部の宇都宮上三川IC周辺に整備された商業流通団地「インターパーク宇都宮南」にはFKDとジョイフル本田が立地し、北関東屈指の大規模店舗集積地となっている。
宇都宮は大型家電量販店の発祥の地であり、現在もコジマが星が丘に本社を置いている。当初はヌマニウ(本社:市内西川田)も家電量販店を展開していたが、バブル崩壊の後のコジマの全国展開および株式上場、また水戸に本社を置くケーズデンキ、前橋に本社を置くヤマダ電機の宇都宮出店などに押され撤退した。現在はJR宇都宮駅前にヨドバシカメラも出店し、競争はますます激化している。
また市内には餃子を扱う飲食店が専門店を含めて約二百軒あり、「餃子の街」として全国的に有名である。2005年7月には、ジャスコ宇都宮店跡地(簗瀬町)に昭和30年代の内装を施したフードテーマパーク「宇都宮餃子共和国」がオープンしたが、市街地への餃子関連施設集積化などの意図もあり、2006年6月30日をもって撤退した。また、カクテル作りの腕を競う国内大会で優勝したバーテンダーが多く所在する事から、「カクテルの街」としても売り出している。ジャズサックス奏者・渡辺貞夫の出身地である事から、「ジャズの街」での宣伝も始まっている。
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- 本社を置く企業
[編集] 農業
宇都宮市は農業も比較的盛んであり、全国市町村別農業産出額(2004年)では第47位であった。県内では那須塩原市、大田原市に次いで第3位である。耕地面積(2004年)は那須塩原市に次いで広く、県内第2位であった。特産品は和なしや洋ラン(鉢)で、何れも全国市町村別産出額(2003年)では第7位、県内では第1位であった。また国内有数の米の産地でもあり、産出額(2004年)は全国第17位、県内では大田原市に次いで第2位であった。野菜類ではトマトの産出額(2003年)が多く、全国第19位、県内では第1位であった。
[編集] マスメディア
[編集] 新聞
かつては栃木新聞も存在した。
全国紙の販売エリアであり、朝日新聞社、読売新聞社、毎日新聞社、産業経済新聞社、日本経済新聞社、東京新聞、日刊工業新聞社の総局・支局が市内にある。また通信社も、共同通信社、時事通信社が支局を設けている。
[編集] 放送
- 栃木放送
- エフエム栃木(RADIO BERRY)
- とちぎテレビ
- 宇都宮ケーブルテレビ
- NHK宇都宮放送局
テレビは関東広域圏になり、日テレ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日の支局(取材拠点)がある。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
中心駅:宇都宮駅
[編集] バス路線
[編集] 道路
宇都宮から主な都市までの距離は、概算で以下の通りである。
[編集] 高速道路
[編集] 一般国道
[編集] 主要地方道など
- 宇都宮環状道路(通称・宮環)
- 新4号国道・国道119号豊郷バイパス・国道121号・栃木県道3号宇都宮亀和田栃木線
- 栃木県道2号宇都宮栃木線(栃木街道)
- 栃木県道4号宇都宮鹿沼線(鹿沼街道)
- 栃木県道6号宇都宮楡木線(鹿沼インター通り)
- 栃木県道10号宇都宮烏山線(大通り、白沢街道、旧奥州街道)
- 栃木県道22号大沢宇都宮線(新里街道)
- 栃木県道35号宇都宮結城線(上三川街道)
- 栃木県道63号藤原宇都宮線(田原街道)
- 栃木県道64号宇都宮向田線(鬼怒通り)
- 栃木県道70号宇都宮今市線(大谷街道)
- 栃木県道125号宇都宮氏家線(旧奥州街道、白沢街道)
[編集] 広域連絡網
- 東京方面・・・国道4号
- 大宮(さいたま)・・・国道4号 - 埼玉県道3号さいたま栗橋線 - 国道17号
- 水戸方面・・・国道123号 - 県道宇都宮笠間線 - 国道50号
- 日光方面・・・国道119号
- 郡山方面・・・国道4号
- 高崎方面・・・県道4号宇都宮鹿沼線 - 国道293号 - 国道50号
[編集] 主な学校
[編集] 高等教育機関
- 国立大学法人
- 私立大学・短期大学
[編集] 高等学校
- 栃木県立
- 私立高校
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[編集] 中学校
[編集] 公立中学校
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[編集] 国立中学校
- 宇都宮大学教育学部附属中学校
[編集] 私立中学校
[編集] 小学校
[編集] 公立小学校
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[編集] 国立小学校
- 宇都宮大学教育学部附属小学校
[編集] 私立小学校
- 作新学院小学部
[編集] 主な施設
博物館・美術館
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公園
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[編集] 観光
[編集] 名所旧跡
- 宇都宮二荒山神社(馬場通り一丁目)
- 宇都宮城址公園(本丸町)
- 飛山城史跡公園(竹下町)
- 今泉八坂神社(今泉四丁目)
- 蒲生神社(塙田五丁目)
- 旧篠原家住宅(今泉一丁目)
- 清巌寺鉄塔婆(大通り五丁目)
- 善願寺大豆三粒の金仏(大通り一丁目)
- 宝蔵寺お寄りの鐘(大通り四丁目)
- 松が峰教会(松が峰一丁目)
- 聖ヨハネ教会(桜二丁目)
- 亀井の水(下河原町)
- 野口雨情旧居(鶴田町)
- 大谷寺
- 【大谷石の壁に掘られた大谷観音【国内最古】がある】
- 平和観音(大谷町)
- 大谷資料館【大谷石地下採掘跡】(大谷町)
- 多気山不動尊(田野町)
- 長岡百穴古墳(長岡町)
- うつのみや遺跡の広場(上欠町)
[編集] 温泉
- ろまんちっく温泉館(新里町)
- 宇都宮温泉不老長寿の湯(今泉三丁目)
- 健康ランド南大門(今泉町)
[編集] 祭事
- フェスタmy宇都宮(4月)
- ふるさと宮まつり(8月第一土・日曜開催)
- ジャパンカップサイクルロードレース(10月下旬の土・日曜開催)
- 宇都宮餃子まつり(11月上旬開催)
- よー元気まつり(5月下旬開催)
- 宮の市(10月下旬~11月上旬開催)
[編集] グルメ・その他
- 餃子・・・「宇都宮餃子」として非常に有名。戦中、宇都宮の部隊が中国大陸に展開しており、戦後、復員兵によって多くの餃子屋が市内にできたのが始まりという。
- カクテル
- ジャズ
- レモン牛乳
- 宇都宮屋台横丁(二荒町)
[編集] 出身有名人
[編集] 政治
[編集] 学者
- 船田享二(ローマ法学者)
[編集] 美術
- 矢口洋(洋画家)
[編集] 作家
[編集] ミュージシャン
- 渡辺貞夫(サックス奏者)
- 宮田大(チェロ奏者)
- 高内春彦(ギター奏者)
- 車谷浩司(歌手)
- カヒミ・カリィ(歌手)
- 浜崎貴司(歌手) - フライングキッズのメインヴォーカリスト。
- いとうかなこ(歌手)
- 森昌子(歌手)
- 森山愛子(歌手)
- hiroko(歌手) - mihimaru GTのヴォーカリスト。兵庫県生まれの宇都宮育ち。
[編集] メディア
[編集] アニメーション
[編集] 芸能
[編集] スポーツ
- 松本育夫(メキシコシティオリンピックのサッカー銅メダリスト。サッカー指導者・解説者)
- 藤田幸希(プロゴルファー)
- 安藤梢(サッカー選手)
[編集] ジャーナリスト
- 野口久光(映画・ミュージカル・ジャズ評論、映画ポスターデザイン)
- 本多正一(写真家)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
北海道: | 札幌市 |
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東北: | 青森市 | 盛岡市 | 仙台市 | 秋田市 | 山形市 | 福島市 |
関東: | 水戸市 | 宇都宮市 | 前橋市 | さいたま市 | 千葉市 | 東京特別区(新宿区) | 横浜市 |
甲信越: | 甲府市 | 長野市 | 新潟市 |
北陸: | 富山市 | 金沢市 | 福井市 |
東海: | 岐阜市 | 静岡市 | 名古屋市 | 津市 |
関西: | 大津市 | 京都市 | 大阪市 | 神戸市 | 奈良市 | 和歌山市 |
中国: | 鳥取市 | 松江市 | 岡山市 | 広島市 | 山口市 |
四国: | 徳島市 | 高松市 | 松山市 | 高知市 |
九州/沖縄: | 福岡市 | 佐賀市 | 長崎市 | 熊本市 | 大分市 | 宮崎市 | 鹿児島市 | 那覇市 |