京城帝国大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京城帝国大学(けいじょうていこくだいがく)は、1924年に日本統治下の朝鮮の京城府(現在のソウル特別市)に設立された、日本帝国内で6番目の帝国大学であり、朝鮮においては唯一の旧制大学であった。略称は城大(じょうだい)。
法文学部・理工学部・医学部・予科を設置。鍾路区大学路に立地していた。
戦後独立して後は京城大学と改称したものの、1946年8月22日に米軍法令102号によって閉鎖。1946年10月15日にソウル・水原に立地していた9つの専門学校を統合してソウル大学校となった。このようにソウル大学校は京城帝国大学の固定資産を受け継いでいるが、ソウル大学校の公式表明ではその建学を1946年としており、京城帝国大学との連続性を認めてはいない[1]。
1937年で、日本人学生と朝鮮人学生の比率は70.2%と29.8%、 1942年で、60.4%と39.6%。
目次 |
[編集] 沿革
- 1924年5月 朝鮮総督府所管の帝国大学として設立。大学予科(修業年限2年)を設置。
- 1926年5月 法文学部・医学部設置。
- 法文学部は憲法・行政法/民法・民事訴訟法/刑法・刑事訴訟法/経済学/政治学・政治史/羅馬法/哲学・哲学史/支那哲学/倫理学/心理学/宗教学・宗教史/美学・美術史/教育学/社会学/国史学/朝鮮史学/東洋史学/国語学・国文学/朝鮮語学・朝鮮文学/支那語学・支那文学/外国語学・外国文学の各講座を設置。
- 医学部は解剖学・生理学・医化学・薬物学・病理学・微生物学の各講座を設置。
- 1934年 予科の修業年限を3年に延長。
- 1941年 理工学部設置。
- 1942年5月 高地療養研究所を附置。
- 1945年6月 大陸資源科学研究所を附置。
[編集] 歴代総長
- 有吉忠一(事務取扱;1924年5月-1924年7月)
- 下岡忠治(同上;1924年7月-1925年11月)
- 湯浅倉平(同上;1925年12月-1926年4月)
- 服部宇之吉(兼任;1926年4月-1927年7月)
- 松浦鎮次郎(1927年7月-1929年10月)
- 志賀潔(1929年10月-1931年10月)
- 山田三良(1931年10月-1936年1月)
- 速水滉(1936年1月-1940年7月)
- 篠田治策(1940年7月-1944年3月)
- 山家信次(1944年3月-1945年8月?)
[編集] 出身者
[編集] 関連文献
- 泉靖一 「旧植民地帝国大学考」 『中央公論』1970年7月号、所収
- 阿部洋 「日本統治下朝鮮の高等教育 ─京城帝国大学と民立大学設立運動をめぐって─」 『思想』1971年7月号、所収
- 京城帝国大学同窓会 『紺碧遙かに ─京城帝国大学創立五十周年記念誌─』 1974年
- 馬越徹 『韓国近代大学の成立と展開 ─大学モデルの伝播研究─』 名古屋大学出版会、1995年 ISBN 4815802513
- 第四章「日本型植民地大学としての京城帝国大学」・第五章「米軍統治下の高等教育」。
- 稲葉継雄 『旧韓国~朝鮮の「内地人」教育』 九州大学出版会、2005年 ISBN 4873788846
- 第14章「京城帝国大学予科」。
- 石川健治 「コスモス ─京城学派公法学の光芒─」 酒井哲哉(編) 『「帝国」編成の系譜』(岩波講座「「帝国」日本の学知」第1巻) 岩波書店、2006年、所収
- 「朝鮮年鑑」
[編集] 関連項目
- 京城高等商業学校
- ソウル大学校
- 北海道帝国大学(現・北海道大学)1918年創立
- 東北帝国大学(現・東北大学)1907年創立
- 東京帝国大学(現・東京大学)1877年創立
- 名古屋帝国大学(現・名古屋大学)1939年創立
- 京都帝国大学(現・京都大学)1897年創立
- 大阪帝国大学(現・大阪大学)1931年創立
- 九州帝国大学(現・九州大学)1910年創立
- 台北帝国大学(現・台湾大学)1928年創立
上記帝国大学の創立年は、帝国大学令に基づいて「帝国大学」と称した年である。(東京大学を除く)