芦原病院
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芦原病院(あしはらびょういん)は大阪市浪速区にあった民間病院である。2006年浪速生野病院に名称を変更した。
[編集] 設立及び運営経過
- 1957年 芦原診療所が開設
- 1958年 芦原診療所の運営組織として浪速医療生活協同組合が設立
- 1963年 芦原病院と改名
- 1968年 大阪市が芦原病院に補助金支給を始める
- 1969年 同和対策事業特別措置法が施行
- 1970年 芦原病院が同和地区医療センターと位置づけられる
- 2002年1月 地域改善対策財政特別措置法が失効
- 2005年10月18日 關淳一大阪市長の辞職が市議会で同意される
- 2005年12月1日 浪速医療生活協同組合が民事再生法の適用を申請
- 2006年3月31日 浪速医療生活協同組合芦原病院廃院
- 2006年4月1日 医療法人弘道会に営業を譲渡し医療法人弘道会芦原病院として開院
- 2006年6月1日 浪速生野病院に名称を変更
[編集] 補助金支出の経緯
- 1968年から2001年までの補助金の総額は154億円528万4000円。
- 1974年から1979年までの貸与金の総額は93億3200万円。
- 1980年から2001年までの特別貸付金、いわゆるヤミ融資は72億4100万円。
- 2004年度で6億3000万円の補助金を支出。
- 関淳一大阪市長は、彼が環境保健局長と助役であった頃に、無担保融資130億円のうちの約46億円を決済している。
- 2006年4月28日 大阪市が2002年から2004年迄に備品及び工事補助金として4億8900万円を不正支出していたこと、そのすべてが補助金申請書や清算報告書通りに使われていなかってことが発覚。病院の総勘定元帳に記載された別の使途が総額で1億7000万円であったことから、差額3億1800万円の使途が不明となっている。
- 2006年4月29日 芦原病院が大阪市に対し、138億円の債権を放棄するよう要請していたことが発覚。
[編集] 部落解放同盟との関係
芦原病院は部落解放同盟との関係が深く、かつてその外壁には解放同盟のシンボルマークである荊冠旗が大きくペイントされていた。しかし、不正融資発覚後の現在は塗りなおされている。
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