花見村
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花見村(はなみそん)は、かつて鳥取県の中部、東伯郡に属していた村。
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[編集] 概要
1952年(昭和27年)12月31日当時の人口は2450人、面積は14,84k㎡。1889年(明治22年)10月1日、町村制実施により河村郡内(当時)の野花(のきょう)・長和田(なごうた)・長江・佐美(さび)・門田・埴見(はなみ)・羽衣石(うえし)の7ヵ村が合併して成立した。当村内では江戸時代から東郷池の干拓が行われ多くの水田が作られ、東郷池の西側の平野に水田地帯を広く形成するにいたった。また、明治末期より当村の山地の斜面において特産品の梨の栽培が盛んに行われるようになった。1953年(昭和28年)4月1日、周辺の東郷松崎町、舎人村と合併、東郷町が成立して消滅した。
[編集] 村名の由来
村名の由来としては古来、この地域では良質の粘土が採取され土師器や瓦を焼く窯が作られたことから粘土の意の「はに」と東郷池または海を意味している「み」が合わさり、「埴見」と呼ばれていたことによる。また、平安時代の和名抄にも伯耆国河村郡八郷の1つとして「埴見郷」の名が見えることから、古くからこの地域の地名として呼ばれていたことが分かる。従って「埴見村」とするのが普通であるのだが、合併時に村内に同じ地名の集落があることを考慮して混同するのを避けたため、同じ読みをする「花見村」と称することになった。