葉梨信行
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葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。北海道大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京都出身。
父は衆議院議員を務めた葉梨新五郎。旧制水戸高校を卒業し、数学者を志して北海道大学理学部に進学。政治家になる意思はなかったが、周囲の説得に翻意し、出馬を決意。政治修行のため、福田一の秘書をしていた時期もある。
葉梨新五郎の地盤を継承したものの、初出馬から3回連続で落選。1967年、衆院選に出馬しようやく初当選。以降、連続12回当選。国会まで常磐線を利用し通勤することで知られた。
第2次田中角榮内閣の労働政務次官を務め、第3次中曽根内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣。以降は自民党憲法調査会会長、弾劾裁判所裁判長などを歴任したが、12回当選にもかかわらず閣僚経験は自治相1回のみに終わり、35年以上に及ぶ国会議員生活で目ぼしい活躍は見られなかった。党内派閥において、当初は小派閥の船田派に属したが、同派が消滅し、しばらくの無派閥期間を経て鈴木派に外様として入ったことも政治家としての経歴に大きく影響した。加えて押しの弱い人柄などが災いし、内向的なタイプで、政界の友達もごくわずかであると言われた。こうした人脈のなさが党内で軽んじられ続けた要因のひとつなのではないかという指摘もある。
中選挙区制時代、中山利生と激しい選挙戦を展開。毎回、葉梨新五郎と中山栄一の代から続く厳しい対立が話題となった。小選挙区制導入以後はコスタリカ方式を採用したため、対立は終息化した。
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