藤原佐理
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藤原佐理(ふじわら の すけまさ(さり)、天慶7年(944年) - 長徳4年7月25日(998年8月24日)は、平安中期の能書家、公卿。太政大臣藤原実頼の孫、左近衛少将藤原敦敏の子。名前は「すけまさ」だが、「さり」と音読みされることが多い。
[編集] 経歴
右近衛少将、参議、兵部卿、大宰大弐などを歴任し、正三位に至る。早くより能書で知られ草書の第一人者としての評価も高く、円融、花山、一条の3天皇の大嘗会の屏風の色紙形の筆者としても活躍した。小野道風、藤原行成とともに三蹟の一人で、流麗で躍動感のある筆跡は「佐跡」と呼ばれる。真跡として「詩懐紙」(国宝)のほか、「離洛帖」(りらくじょう、国宝)などの書状数点がある。『大鏡』などの人物評によれば、佐理は酒にまつわる失敗の多い人物だったようで、「離洛帖」をはじめ、残されている書状はことごとく詫び状である。
[編集] 真蹟
- 詩懐紙(国宝)香川県歴史博物館蔵 - 「懐紙」とは書道用語では漢詩、和歌などを一定の書式に則って書写したもののこと。本作品は、平安時代の詩懐紙として現存唯一の貴重な作品。
- 書状(離洛帖)(国宝)畠山記念館蔵 - 正暦2年(991年)、佐理(当時48歳)が書いた書状で、内容は佐理が大宰大弐(だざいのだいに、大宰府の次官)に任命されて任地へ向かう旅の途上、摂政の藤原道隆に赴任のあいさつをしてくるのを忘れたことを思い出し、妹の息子である藤原誠信にあてて、道隆へのとりなしを依頼した侘び状である。スピード感のある草書体を駆使した個性的な書風が特色である。
- 書状(恩命帖) 三の丸尚蔵館蔵
- 書状(女車帖) 書芸文化院蔵
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