藤原超子
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藤原 超子(ふじわら の ちょうし(とおこ)、天暦8年(954年)頃 - 天元5年1月28日(982年2月24日))は、藤原兼家の長女。母は藤原中正女時姫。冷泉天皇女御、三条天皇生母。同母兄弟に道隆・道兼・道長、東三条院詮子。
安和元年(968年)、御匣殿として冷泉天皇に入内。同年女御の宣旨を受け、従四位下に叙される。翌安和2年(969年)、冷泉天皇退位。のち従四位上に進み、天元5年(982年)急死。寛弘8年(1012年)、三条天皇即位により皇太后を追贈される。
超子の入内時、父兼家はまだ蔵人頭であり、これが公卿ではない人物の娘が女御宣下を受けた初例となった。冷泉天皇退位後に居貞親王(三条天皇)、為尊親王、敦道親王らを産むが、庚申待ちの明け方、脇息に寄りかかったまま眠るようにしていつの間にか息絶えていたという。(『栄花物語』)