西カリマンタン州
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州の標語: Akcaya(Tak Kunjung Binasa) | |
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座標 | 北緯00度東経110度 |
州都 | ポンティアナック |
知事 | Usman Ja'far |
面積 | 146,807 km² |
人口 | 3,740,000 (2000) |
民族 | マレー人、ダヤク人、華人、ジャワ人、マドゥラ人、ブギス人、 |
宗教 | イスラム教 (57,6%)、カトリック (24,1%)、 プロテスタント (10%)、ヒンドゥー教、 (0,2%)、lain-lain (1,7%) |
言語 | インドネシア語、マレー語、ダヤク語、中国語 |
時間帯 | UTC+7 |
公式サイト | http://www.sulsel.go.id/ |
西カリマンタン州(にし—しゅう、インドネシア語:Kalimantan Barat、略してKalbar)はインドネシアの州であり、カリマンタン島に四つある同国の州の一つである。州都ポンティアナックは赤道直下にある。
同州と他地域との間の境界は大体カプアス川の分水嶺を取り囲む山脈と一致しており、同州のほとんどが同川の流域となる。同州の下には2市(kotamadya)10県(kabupaten)が置かれている。2市とはポンティアナック及びシンカワンであり、10県とはサンバス県、ベンカヤン県、ポンティアナック県、クタパン県、ランダッ県、サンガウ県、スカダウ県、シンタン県、ムラウィ県及びカプアス・フル県である。人口の約29%はポンティアナック市域に住んでいる。
[編集] 歴史
1960年代半ばのスカルノ政権時代には、西カリマンタンはインドネシアとマレーシアとの間の武力衝突の舞台となった。スハルトが1965年にスカルノを失脚させた後は、武力衝突はすみやかに終息したが、この武力衝突の間に非合法組織インドネシア共産党 (PKI) の後ろ盾で武装勢力が組織され、スハルト軍事政権との間でさらに10年間に及ぶ内戦が続いた。
[編集] 参考文献
- Davidson, Jamie S. and Douglas Kammen (2002). Indonesia's unknown war and the lineages of violence in West Kalimantan. Indonesia 73:53.
[編集] 外部リンク
- WWF Heart of Borneo conservation initiative - ボルネオ島中心部の情報 - 220,000 km²に及ぶ高原の熱帯雨林に住むオランウータン、サイ、コビトゾウなどが絶滅の危機に瀕している。

- インドネシアの地方行政区画
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