親衛隊長官 (ローマ帝国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
親衛隊長官(羅:Prefectus praetorio 英:Praetorian Prefect)とは古代ローマでの官職のひとつ。親衛隊を統率する官職として主にエクィテス階級の者が就任した。親衛隊はアウグストゥスの治世に始まり、314年にコンスタンティヌス1世によって廃止されたが、それでも『プレフェクトゥス・プラエトリオ(親衛隊長官)』の称号そのものはビザンツ帝国のヘラクレイオス帝の治世まで行政長官として続いた。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 帝政前期
ローマ皇帝を護衛する親衛隊を統率する者として帝政ローマを通じて1人ないし2人、時には3人の定員があり、主にエクィテス階級の者がローマ皇帝より任命された。そしてアレクサンデル・セウェルスの治世に親衛隊長官の官職は元老院議員まで広がり、エクィテス階級の者が任命されると自動的に元老院議員の議席が与えられた。
帝政期を通じてローマ皇帝は度あるごとに親衛隊を勢力下に置くように務めてきたが、セウェルス朝以降、親衛隊そのものが独自の勢力としてローマ社会で最も影響力の大きい存在となり、さらに軍人皇帝時代には親衛隊長官は皇帝の地位を左右するほどの権力を持つようになる。
[編集] 帝政後期−ドミナートゥス制による変革
しかしディオクレティアヌスの治世に親衛隊が権限を大幅に削減され、コンスタンティヌス1世の時代に親衛隊長官の職務から軍事的要素が取り除かれ、軍事的司令官としての役割はマギステル・ミリトゥムが担うようになった。そして親衛隊長官の役職は本来の機能を失い、ローマ皇帝にとって信頼できる軍人が昇進するための最初の職務としての役割を果たすようになった。