赤松貞明
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赤松 貞明(あかまつ さだあき、1910年(明治43年) - 1980年(昭和55年)2月22日)は日本海軍パイロット。最終階級海軍中尉。零戦、雷電に搭乗し、日中戦争から本土防空戦まで活躍した。
[編集] 経歴
1910年、高知県生まれ。1938年に日中戦争で初陣を飾る。 数多くの武勇伝を持ち、坂井三郎からは酒好き、喧嘩好き、女好きですぐに暴力を振るう変人と称されたが、実のところ坂井三郎自身も似たような性格である。
自称350機撃墜を称し、その無敵ぶりをアピールしていたが、実際の撃墜数は定かでない。第三〇二海軍航空隊配属後、1945年(昭和20年)2月17日、厚木基地上空で雷電でテスト飛行中、突如飛来してきたF6F戦闘機4機と交戦し、このすべてを撃墜。また同年5月29日には横浜市街上空でP-51戦闘機75機に単機戦闘を挑み、アメリカ陸軍撃墜王トーマス・J・リンチを見事に撃墜した。
一見無謀で、バカのように見られたが、一度も撃墜されたことはなく、また衆人観視のなかで、その戦技を見せた実績により間違いなくエースパイロットである。また独特の空戦理論を持ち、特に部下に対して米軍機への深追いを強く戒めた。 戦後は酒に溺れ、内臓疾患を患い孤独のうちに死去した。
最終飛行時間 6000時間。