辞世
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辞世(じせい)とは、人が死に際して詠む漢詩、偈、和歌、発句またはそれに類する短型詩の類のことで、東アジア固有の風俗である。
本来辞世はあらかじめ用意された作品のことを指すが、末期の床でとっさに詠んだ作や、急逝のために辞世を作るいとまがなくたまたま生涯最後の作品となってしまったもの(以上のような例を「絶句」として区別する場合がある)も広い意味での辞世に含む。内容的には自らの生涯を振り返っての感慨や総括、死に対する思いなどを題材にするが、体力が衰えている上に題材の扱いが難しく、作として出来のよいものはあまり多くない。
風俗としての起源ははっきりしないが、特に中世以降の日本において大いに流行し、文人の末期や切腹の際には欠かせない小道具の一つとなった。この場合、最もよく用いられた詩形は和歌である。これは禅僧が死に際して偈を絶筆として残す風俗に、詩形としての和歌の格の高さ、王朝時代以来の歌徳説話のなかにまま辞世に関するものが見えたこと、などが影響していると思われる。
江戸期には偈による辞世がほとんど姿を消すと同時に、和歌形式が狂歌や発句に形を変えてゆくのが一般的な風潮になった。和歌にはない俗や笑いを持ち込める形式が辞世として多く用いられるようになったことで、明るく、軽く、死を描きながら一皮めくるとその裏に重大なものが息づいているという繊細なポエジーが成立し、江戸期は辞世文学における一つの頂点を迎えるといってよいだろう。また、政治的な理由で死を選ばざるを得なかった人々が辞世に漢詩の詩形を用いたこともこの時代の一つの特徴であり、これは自らの社会的な志を述べるのにこの詩形が最もよく適していたことを示している。
[編集] 有名な辞世 (順不同)
- 偈
- 和歌、狂歌
- 「友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」毛利元就
- 「何を惜しみ 何を恨まん もとよりも このありさまの 定まれる身に」陶晴賢
- 「討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」大内義隆
- 「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」上杉謙信
- 「浮世をば 今こそ渡れ武士の 名を高松の 苔に残して」清水宗治
- 「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す」明智光秀
- 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにはのことも 夢のまた夢」豊臣秀吉
- 「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」石田三成
- 「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」石川五右衛門
- 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」吉田松陰
- 「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」浅野長矩(内匠頭)
- 「あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」大石良雄(内蔵助)
- 「うつし世を 神去りましゝ 大君の みあと志たひて 我はゆくなり」乃木希典
- 「此の世をば どりゃお暇(いとま)に せん香の 煙とともに 灰 左様なら」十返舎一九
- 「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで] 足利義輝
- 発句(俳句)