石川五右衛門
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石川五右衛門とは
- 日本の安土桃山時代に現れたという盗賊。本項にて詳述する。
- 漫画・アニメルパン三世に登場する架空の人物。公式な表記は石川五ェ門で、1.の子孫という設定。詳しくは石川五ェ門 (ルパン三世)を参照されたし。
- コナミより発売されたファミコン用ソフト「がんばれゴエモン」シリーズの主人公。1.をモデルとする。
石川五右衛門(いしかわ ごえもん:生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代に出没した盗賊である。出生地は伊賀国・河内国・丹後国・遠江国(現・浜松市)などの諸説がある。
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[編集] 史料に残された石川五右衛門
史料に残された石川五右衛門の記録は、いずれも彼の処刑に関わるものである。まず、安土桃山時代から江戸時代初期の20年ほど日本に貿易商として滞在していたアビラ・ロランの記した『日本旅行記』によると、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ、京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述がある。ここにイエズス会の宣教師として日本に滞在していたペドロ・モレホンが注釈を入れており、この盗賊処刑の記述に、「この事件は1594年のことである。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人ないしは10人であった」と記している。
また、公家の山科言経の日記『言経卿記』には、文禄3年8月24日(1594年10月8日)の記述として「盗人、スリ十人、又一人は釜にて煎らる。同類十九人は磔。三条橋間の川原にて成敗なり」との記載があり、誰が処刑されたか記されてはいないものの、宣教師の注釈と一致を見せる。また、時代はやや下るものの寛永19年(1642年)に編纂された『豊臣秀吉譜』(林羅山編)は「文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって(京都所司代の)前田玄以に捕らえられ、母親と同類20人とともに釜煎りにされた」と記録している。以上の史料にはそれぞれ問題点も挙げられているが、石川五右衛門という人物が安土桃山時代に徒党を組んで盗賊を働き、京で処刑されたという事実は間違いないと考えられている。
[編集] フィクションにおけるヒーローとしての石川五右衛門
江戸時代には伝説の大泥棒として認知されている。盗賊の彼が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、これらの創作の中で次第に義賊として扱われるようになったこと、また権力者豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたことにもよるであろう。
歌舞伎『金門五山桐』(楼門五三桐)の「山門」の場で「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」と煙管片手に見得を切り、楼門の場の科白で釜煎りにされながら詠む「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(辞世の句とされている)」が有名である。山門は京都南禅寺の山門という設定。また、この場面で五右衛門は髪が伸び過ぎた状態を表す百日鬘(ひゃくにちかつら)に大どてらという格好をしており、これが今日の一般的な五右衛門像となっている。
戒名「融仙院良岳寿感禅定門」。これは処刑された盗賊としては極めて異例の、破格に立派な戒名である。
一方で彼の実際の行動について記録されている史料は少ない。反面、そのことが創作の作者たちの想像力と創作意欲をかき立てていることは間違いなく、彼に関しては古今数多くのフィクションが生み出されている。
[編集] 半生
その半生についてはさまざまな説がある。
- 幼名は五郎吉。幼い頃から非行を繰り返し14、15の頃に父母を亡くす。19歳の頃からについてはいくつかの説があり主に伊賀にわたり忍者の弟子になった後京を出て盗賊になった、奉公した男性の妻と駆け落ちした、などがある。
- 百地三太夫(百地丹波)について伊賀流忍術を学んだが、三太夫の妻と密通した上に妾を殺害して逃亡したとの伝承もよく知られている。
- その後、手下や仲間を集め頭となり悪事を繰り返す。相手は権力者のみの義賊だったため、当時は豊臣政権が圧政や朝鮮出兵の失敗で嫌われていたこともあり、庶民のヒーロー的存在になっていた。
- 秀吉の甥・豊臣秀次の家臣・木村常陸介から秀吉暗殺を依頼されるが秀吉の寝室に忍び込んだ際香炉が鳴り捕らえられる。その後、捕らえられた配下の一人に悪事や部下などをすべて暴かれてしまう。
- 有名な釜茹でについても2つの説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。同じく辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」も有名となった。
[編集] 石川五右衛門が登場する作品
[編集] 古典
- 浄瑠璃・人形浄瑠璃
- 石川五右衛門
- 傾城吉岡染(近松門左衛門作)
- 釜淵双級巴
- 木下蔭狭間合戦
- 歌舞伎
- 金門五山桐(楼門五三桐)
- 高麗大和皇白浪
- 小説
- 『本朝二十不孝』(井原西鶴)巻二-一
- 落語
- 『お血脈』
[編集] 現代
- 忍びの者(映画、1962年、村山知義原作、山本薩夫監督、市川雷蔵主演)
- 梟の城(小説・映画、司馬遼太郎)
- 黄金の日日(小説・大河ドラマ、城山三郎原作)
- 秀吉(大河ドラマ、堺屋太一原作)
- 太閤暗殺(小説、岡田秀文)
- 戦国サイバー 藤丸地獄変(プレイステーション、SCE)
- 戦国無双(プレイステーション2他、コーエー)
- 河原の石川五右衛門(歌、大瀧詠一プロデュース、歌唱は長万部キャッツ(シンガーズ・スリーの別名)。ピンク・レディー『渚のシンドバッド』の替え歌。昭和53年(1978年)発売のアルバム『Let's Ondo Again』に収録される予定だったが、原曲の作詞者・阿久悠の許可が下りなかったため収録されず、歌詞のみの記載となった。昭和56年(1981年)発売の『NIAGARA FALL STARS』で初収録。平成8年(1996年)発売の『Let's Ondo Again』のCDにはこの曲も収録されている)
[編集] その他
大阪府三島郡島本町にある、水無瀬神宮に石川五右衛門がつけたといわれる手形が残っている。