部族
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部族(ぶぞく、tribe)とは、特定の地方ないし地域内に生活し、共通の言語・人種・文化などをもつ小規模な集団。民族と同義で用いられることもあれば、民族より小さい単位としてとらえるむきもある。
歴史上や発展途上国にみられる部族は未開であったり国の外にある社会的な形態である。 多くの人々が、非西洋の、または土着の社会にこの用語を使用する。
しかしスチュアート・ヘンリをはじめとした最近の文化人類学者・社会学者の多くは、部族と民族の呼称の間には明確な客観的な区別がなく、「文明度」という差別的な植民地主義的評価基準が恣意的に用いられているとして(たとえばアフリカでの民族紛争では恣意的に「部族」の語が用いられるなど)、部族の呼称を避けるべきであると主張する。かれらは、民族の下位分類としてのクランなどの帰属集団は歴史的に差別的なニュアンスを帯びている部族ではなく、支族などの呼称を使うべきであるとする。
社会科学者は主に親族関係、特に集合的なものに基づき組織化された社会についてこの語を使用する(クランと血統を見よ)。 アメリカ合衆国などいくつかの国では、部族は法的な認知と限られた自治が国によって承諾された原住民である。
どのように部族を最も特徴付けるかという討論が少なからず行われる。 この討論には前国家的な部族と現代の部族の間に認められる違いに基づくものがあり、 また文化進化と植民地主義上の、より一般的な論議も反映する。 一般的な想像に、部族はpredates(生き方)を反映し、 そして、近代国家におけるそれよりも「自然」である。 部族はまた、原始的な社交性、明確な境界性、均質性、偏狭性、そして安定性に特権を与える。 このようにして、部族で(クランと血統を含む)家族の間の繋がりを組織化すれば、すなわち「民族集団」や「国家」よりも境界線を示す、連帯のための社会と思想の基礎を生むとよく信じられていた。
人類学的、そして民族歴史学研究は、これら全ての概念に挑戦した。
1972年、 モートン・フライドの研究結果で部族の概念は、 そのメンバーが異なった言語を話し、異なった儀式を練習するか、または他の部族のメンバーと言語と儀式を共有した部族の多数の例を見つけた。 同様に彼は、部族の人々が異なった政治的指導者を支持する例、または他の部族のメンバーと同じリーダーを支持する例を見つけた。 彼は一般に、部族が流動性の境界と異質性により特徴付けられ、偏狭でなく、ダイナミックであると結論を下した。
考古学者達は全国家的な部族の発展について調査し続けている。
現在の研究は、部族の組織が豊富な、しかし、予測できない資源を供給する状況への1つのタイプの適合からなることを示唆する。 そのような構造は余分にある時、人々を制限、または抑制しないで、物のない時に食物の生産と分配を調整するほど柔軟であると判明した。
しかしながら、フライドはほとんどの現代の部族が前国家的な部族でそれらの起源を持っているのではなく、むしろ前国家的バンドで持っていると提唱した。 彼が示したそのような「二次」部族は実際に、国家の拡大の近代的な成果として生じてきた。 バンドは小さく、可動性で、弱いリーダーシップを伴う流動する社会的な構成を包括する。 それは、余分を発生させ、税金を支払わず、また常備軍が無い。 2つのうち1つの道で二次部族は発達するとフライドは論じた。
最初に国は、直接の統治にコストがかかりすぎる場所では、後背地の管理及び経済の影響を広げる手段としてそれらを設定できるだろう。 国が奨励するだろう、(必要である)より明確に形成された国境の人々は、より明確な境界を持ち、政治を集結した。なぜなら、そのような政治で余分と税金を作り始めて、指導者達が隣接している国の必要性に敏感になるだろうからである(合衆国や英領インドなどのいわゆる「計画をされた」部族はこの好例である)。
2番目に、バンドは国の拡大に対して自らを守る手段として「二次」部族を形成しうるだろう。 バンドのメンバーは、より明確な境界の集結された政治を形成するだろう、なぜなら国と戦うことができる常備軍の分の余分を生産し始めることができ、経済生産と軍事の活動を調整することの出来得るリーダーシップを持つからである。
[編集] 関連項目
- 文化進化
- イウィ
部族(tribes)もまた連邦政府によって認知された、合衆国の中のネイティヴ・アメリカンの主権国家である。