郷純造
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郷 純造(ごう じゅんぞう、文政8年4月26日(1825年6月12日)-明治43年(1910年)12月2日)は、日本の武士・幕臣、大蔵官僚、政治家である。男爵。
美濃国黒野(現在の岐阜市黒野)出身。江戸に出て旗本に仕え、その後幕臣となった。明治維新後は新政府に入り大蔵官僚として活躍。退官後は貴族院議員となった。
実業家の郷誠之助は次男。四男・昌作は数え2歳で三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の養子となると同時に岩崎 豊弥(いわさき とよや)と改名、兄の誠之助同様実業界で活躍した。茶道宗徧流四方庵8代家元の石原恵香は純造の孫にあたる。 甥(姉の子)に十勝経済界の重鎮となった中島武市(シンガーソングライターの中島みゆきの祖父)がいる。
[編集] 略歴
- 1868年(明治1年):6月、工兵差図役頭取。8月、会計局組頭。
- 1869年(明治2年):大蔵少丞。
- 1870年(明治3年):大蔵大丞。
- 1872年(明治5年):負債取調掛。
- 1874年(明治7年):国債頭。
- 1877年(明治10年):国債局長。
- 1882年(明治15年):大蔵少輔心得。
- 1884年(明治17年):大蔵少輔兼主税局長。
- 1886年(明治19年):大蔵次官。
- 1888年(明治21年):退官。
- 1891年(明治24年):貴族院勅選議員となり、政治家に転身。
- 1900年(明治33年):男爵となる。