鈴木重義
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鈴木 重義(すずき しげよし、1902年 - ?)は日本のサッカー選手、サッカー指導者。第二次世界大戦前、サッカー日本代表監督を務めた。
東京高等師範学校附属中学校から1920年に早稲田高等学院に入学。同校でサッカー部(ア式蹴球部)を設立した。在学中、ビルマ人留学生チョウ・ディンから指導を受けて実力を伸ばした。1923年に早稲田大学に入学、1924年には同大学のア式蹴球部を創設した。
1927年に上海で開催された第8回極東大会では主将として活躍し、フィリピン戦では先制ゴールを決めるなど、日本代表として最初の国際大会勝利に貢献した。
その後は早大ア式蹴球部の監督を務めるとともに、1930年に東京で開催された第9回極東大会では日本代表監督を務め、同率ながら国際大会で初優勝を実現した。
1936年のベルリンオリンピックでも代表監督に就任。本大会前の練習試合で、当時ヨーロッパで広まりつつあった3バック(WMシステム)を目の当たりにし、急遽代表チームにこのシステムを導入した。その結果、スウェーデン代表に勝利するという、「ベルリンの奇跡」を成し遂げた。
その後は大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会の前身)で理事、主事を歴任した。また、早大ア式蹴球部では終身OB会長を務めていた。
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