長崎原爆資料館
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長崎原爆資料館(ながさきげんばくしりょうかん)は、長崎市への原子爆弾投下に関する資料を取り扱った長崎市立の資料館である。長崎県長崎市平野町にある。
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[編集] 概要
館内は「1945年8月9日」「原爆による被害の実相」「核兵器のない世界を目指して」などのテーマに沿って資料、写真、解説パネルなどが展示されている。 館内には折れ曲がった工場の鉄骨、爆心地側の部分が熱線により焼けた橋げたなど原子爆弾によって破壊された建物の一部が移設されている。また、原爆投下で時が止まったままの「11:02の時計」などの被爆資料を展示しており、原子爆弾の悲惨さ、凄惨さを伝える。手で触ることのできる原爆資料もある。長崎型原爆、ファットマンなどの模型も展示されている。
なかでも、長崎市内外の地形を使った模型では原爆被害の面的な広がりを視覚的に理解することができる。原爆記録映像や被爆者の証言ビデオなどの上映もあり、長崎原爆の全体像を学ぶことが出来る。資料館の隣には国による追悼施設、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がある。
同じく原子爆弾投下の惨状を伝える資料館として広島平和記念資料館がある。
[編集] 建物
地上2階、地下2階で設計は久米設計が行った。爆心地周辺の景観を害さないよう設計したため、地下部分が有効活用されている。屋上部分は庭園化されている。玄関は地下1階。地下1階より上には、平和関係のイベントで活用されることが多いホールや図書室、売店、喫茶店、長崎市などの事務室がある。展示スペースは地下2階に設けられており(ただし映像室は地下1階部分)、入館者はらせん状の通路を下っていく。
[編集] 料金
観覧料は大人200円、小中学生・高校生100円。団体料金は大人160円、小中学生・高校生80円。
[編集] 前身の施設(長崎国際文化会館)
前身は1955年に開館した長崎国際文化会館の原爆資料室である。戦災復興に関する特別法長崎国際文化都市建設法(1949年成立)に基づき建てられた文化施設の同会館内に、原爆資料室、博物館、音楽ホールなどが設けられた。早稲田大教授を務めた佐藤武夫の設計による地上6階、地下1階建。現在の原爆資料館のやや北側に建てられた。爆心地を望む丘の上で眺望がよく、また、大きな窓を格子状に配置した当時としては斬新な建築物であったため、市民や観光客に親しまれた。被爆資料は1949年に爆心地近くに開館した旧長崎市原爆資料館が集めたものが移設された。建物の老朽化や、展示スペースが手狭になったことから、被爆50周年事業として同会館は取り壊され、1996年に現在の長崎原爆資料館が開館した。